【日本のなかのロシア料理】茨城・キエフ

2016-05-25

白凛居で山下りんのイコンに出逢った茨城・笠間の小旅行。笠間芸術の森では陶芸に挑戦したり、森のなかで陶造形作家の作品を楽しめる陶の杜を散策し、遊びの杜では山の斜面を滑り降りる全長160mロングすべり台で息子も大喜び。そして水戸のロシア料理店キエフにもお邪魔しました。

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大通り沿いながら緑に囲まれて森の一軒家のような可愛らしい外観。赤煉瓦がロシアを想わせます。

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緑豊かな美しい街ウクライナのキエフから店名をとったそうです。キエフ風カツレツはもちろん、ボルシチなど現在ロシア料理として親しまれているお料理の発祥の地でもあります。

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 温かなランプの灯りに誘われるように扉をあけます。ロシア民謡が流れる店内は、落ち着いた照明と天井近くのステンドグラス、ヨーロッパのアンティーク家具が異国情緒を醸し出しています。

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テーブルセッティングは、ボルシチのような美しい赤を基調に。私にとっては、こういう赤が“ロシアの赤“、そしてこちらのテーブルクロスのようなイコンの聖母が身につけているような青が“ロシアの青”です。

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フロア正面奥には大きな暖炉、トレチャコフ美術館に収蔵されているクラムスコイ作『忘れえぬ女』が飾られていました。

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暖炉上のスペースにはロシアがいっぱい!年代物のマトリョーシカやサモワール、ホフロマ塗り、バラライカ。ウオッカ瓶も並んでいます。

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△ボルシチとパン、前菜の盛り合わせとサラダ(自家製ドレッシング2種)。こちらのボルシチは、お肉を煮込んでこしたスープにお野菜がとろりと優しいお味で、ここにスメタナと酢漬けのビーツをお好みで加えてボルシチを完成させる珍しいスタイル。前菜はサーモンにキャビア、酢漬け野菜が数種。

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△ピロシキもブリヌイ(ロシア風クレープ)とコラボレーションしたようなユニークさ!クレープのような薄い生地に肉だねを巻いてそれに衣をつけて揚げるというコロッケのようなお店オリジナルのスタイル。

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ビーフストロガノフは、大きくてとろける牛肉やきのこがたっぷり!ロシアのクリーミーなビーフストロガノフとは少し違いますが、日本の洋食屋さんの赤ワインで煮込んだビーフシチューを彷彿とさせる日本人の大好きな味です。

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△迫力のシャリャーピンステーキ。かつて歌手シャリャーピンが帝国ホテルに滞在した際に、柔らかいお肉を召し上がって頂こうという思いから考案されて以来、日本においてロシア料理メニューのひとつとして愛されています。(過去関連ブログ☆【今日のロシア】帝国ホテルのシャリャアピンステーキ&パイ【今日のロシア】題名のない音楽会〜日比谷公会堂さよなら音楽会〜

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食後には、ロシアンティーを。蜂蜜とジャム2種がそえられていました。ロシアではジャムを食べながら紅茶をいただきますが、日本ではジャムを紅茶に入れて飲むスタイルが“ロシアンティー”としてお馴染みです。

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キエフやロシアを訪れたことはないというご主人と奥様ですが、日本人向けにアレンジされたロシア料理はどれもこれも美味しく、店内で醸し出されている空気感がなんともいえずロシア的で、ロシア郊外のレストランにいるような不思議な気分も味わえました。

【今日のマトリョーシカ】『マツコの知らない世界』

2016-05-24

TBSテレビ『マツコの知らない世界』で「マトリョーシカの世界」

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マトリョーシカのコレクター・砂川さんと小我野さんが、奥深いマトリョーシカの世界を語ってくださったそうです。情報やお写真は番組HPより。

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ロシア雑貨店店主の小我野明子さんは、ロシアに関する御本も出していらっしゃいます。

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『ロシアのかわいいデザインたち』

『ロシア 暮らしの中の かわいい民芸』

『おとぎの国、ロシアのかわいい本』

今のようにロシアの”かわいい”が一般的になる前に出版され、当時まだロシアという国のイメージ同様に、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた美術展や本屋さんのロシア関連書籍コーナーで、とびきりポップに目を惹きました。それから、奈良に、ロシア雑貨店「マールイ・ミール」を開店されました。

 

いつかぜひ伺ってみたいです!

 

【今日のロシア】茨城・山下りんの白凛居へ

2016-05-23

ロシア正教で祈りのために描かれる聖像画“イコン”。明治13年、イコン画家になるため、単身ロシアに留学し、日本最初のイコン画家になった女性、山下りんの貴重な遺品を収蔵、展示している白凛居へ行ってまいりました。

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△月に2、3度のみ開館している白凛居。一軒家のなかがギャラリーになっていて、りんの生涯を辿ることができます。

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△(館内写真は公式サイトより転載)

 

ご自身の履歴のはじめに「生来画を好む」と書いた山下りんは、描くことを求めて、まっすぐに生涯を過ごしました。安政4年(1858年)茨城の笠間に生まれ、15歳のときにもっと本格的に絵を学びたいと家出して上京。明治政府が創設した工部美術学校初の女子学生の一人となり、そのときに学友の勧めでロシア正教に入信。そしてそこで、彼女の運命を変えるニコライ神父と出逢います。

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△東京・御茶の水の東京復活大聖堂は、ニコライ神父の名前をとってニコライ堂と呼ばれています。(過去関連ブログ☆日本のなかのロシア〜台東区・谷中霊園〜、☆【今日のロシア】ニコライ堂

 

日本で正統のイコンを描ける人材を育てたいというニコライ神父の想いを受けて、山下りんは単身ペテルブルグへ渡り、修道院でイコン画を学びはじめます。ロシアへ行けばさらに西洋画を学べるはずだと考えていたりんは、エルミタージュ美術館へ通い模写をするなど自分の憧れている西洋画と、自分が描かねばならないイコン画との表現の違いに悩み、そのうちエルミタージュへの出入りも禁じられてしまい、体調を崩して帰国します。のびのびとした絵画の可能性とは正反対で、自分の作品の証である署名すら禁じられているイコン。帰国後も数年間の葛藤する時期を経て、イコン画家としていきていく決意を固め、今のニコライ堂の一角にアトリエを与えられて、日本全国のロシア正教会のためにイコンを描き続けます。

 

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修業時代の画材、エルミタージュ美術館で模写した絵、ロシア語の格変化が小さな美しい字でぎっしりと書かれた紙、日本全国の教会のイコンの下絵(長いこと誰が描いたのか謎だったイコンも、りんの遺品のなかに保管されていた下絵の存在で明らかになりました)。そして一番逢いたかったのが、イコンを描き続けた山下りんが、その生涯でたった1枚だけ自分のために描き、署名の許されないイコンの裏側にイリナ山下と自分の洗礼名を記して、死ぬまで手元に置きつづけたというイコン『ウラディミルの聖母』。このイコンに込められた画家 山下りんの魂は受け止めきれないほどに深く重いもので、長い間このイコンの前から動くことができませんでした。

 

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ほかにも山下りんのイコンを求めて全国の教会へ訪ね歩いた写真や、これまでの山下りん展の関連品、ニコライ神父の日記など山下りんに関する書籍や研究本、そしてエルミタージュ美術館に収蔵されている山下りんのイコン画の画像など・・・りんの生涯とイコンを深く感じることができます。

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△りんが生きていた頃からある庭の奥の2本の樹木。61歳でこの笠間に戻ってきたりんは、白内障を患いもう絵筆をもつことはなかったそうですが、ロシア時代に強くなったのでしょうか・・・毎日二合徳利をもって日本酒を買いにいくのが楽しみだったそうで、 静かに穏やかに余生を過ごしたそうです。

 

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 このあと、すこし足を伸ばして、梅で有名な偕楽園を散策したのですが、 正岡子規の句碑 「崖急に 梅ことごとく 斜めなり」をみつけ、どんな環境でも与えられた場所で、精一杯に太陽のほうへ枝をのばし葉を茂らせて、長い冬のあとに美しい花を咲かせ実をつける梅の様子に、山下りんの一生を重ねてしまいました。