【今日のロシア】函館ハリストス正教会

2016-09-10

異国情緒溢れる街歩きが魅力の函館を代表する建築物のひとつ、函館ハリストス正教会

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信者の心のよりどころとして神聖で荘厳でひっそりしたイメージのある教会ですが、こちらはも観光スポットとして人気があり開かれた雰囲気です。夏休み期間ということもあり、この日もたくさんの人が訪れていました。

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日本初のロシア正教会の聖堂は、漆喰の白壁と緑の銅板屋根の対比が美しい外観です。1859年、初代ロシア領事ゴシケヴィッチが現在の教会所在地にロシア領事館の敷地を確保しました。翌1860年、領事館付属聖堂として創立されたのが、初代の聖堂です。1907年に起きた大火で建物を焼失しましたが、1916年にロシア風ビザンチン様式の聖堂として再建され、1983年に国の重要文化財に指定されました。

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小塔が6つあり、それぞれに十字架があります。

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 八角形の鐘塔から内部へ入ることも出来ます。

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内部は写真撮影禁止ですが(日本正教会と北海道庁のHPより転載)、左右の壁には『十二大祭図』が飾られるなど山下りんの描いたたくさんのイコンを見ることが出来ます。薄暗い建物の中で蜜蝋に灯をともし、香炉から漂う甘やかな香りを胸いっぱいに吸い込んでイコンと対峙すると、信者ではなくても心が洗われるような敬虔な気持ちになります。

 

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1861年に来函した青年司祭ニコライが、この聖堂を拠点に日本で初めてロシア正教を布教しました。

△週末には美しい鐘の音色が響きわたります。市民には“ガンガン寺”の愛称で親しまれているそうで、この鐘の音は「日本の音風景100選」にも認定されています。

 https://www.youtube.com/watch?v=aQKfz78Ys08

 

△ロシア正教会の鐘つきは手足を使う独特なものです。過去関連ブログ☆♪♪鐘の博物館♪♪

 

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△緑溢れる敷地内には、司祭さまのお宅や、ロシア連邦名誉領事就任記念みちのく銀行会長 大道寺小三郎氏 平成13年と書かれた記念碑や函館市・ユジノサハリンスク市姉妹都市提携1周年記念植樹1998年と記された白樺などもありました。

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△信徒会館

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 函館市を一望できる見晴らしの良い場所にあります。

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夜には美しくライトアップされた姿が浮かび上がり、函館の街を幻想的に彩ります。

 

 

過去関連ブログ

【今日のロシア】イコン画家 山下りんとエリザヴェータ・フョードロヴナ

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【今日のロシア】函館 旧ロシア領事館

2016-09-09

坂の多い街 函館。外国人墓地から、大きな声で歌をうたったり追いかけっこをしたりしながら幸坂を登っていくと・・・

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赤煉瓦づくりの旧ロシア領事館があります。日本最初のロシア領事館として、この場所に1906(明治39)年竣工。現在の建物は大火後の1908年に再建されたものです。煉瓦の赤と窓枠や漆喰の白が織りなすコントラストが印象的ですが、玄関には寺院風の唐破風や組物を見せる柱頭などが取り入れられ和洋折衷の魅力があります。

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ペリー来航をきっかけに国内初の開港場となった函館(当時は箱館)。日本とロシア間で1854(安政元)年に和親条約が交わされ、その4年後に在箱の初代領事としてゴシケビッチが着任します。当初は、現在の弥生小学校(市内弥生町4)付近にあった実行寺内に仮領事館を開設。1860(万延元)年、ハリストス正教会の敷地内に正式な領事館を構えるも、1866(慶応2)年に起きた火災で焼失し、一時は民家などで執務を行っていたそうです。1903(明治36)年、現在地で始まった新築工事は、翌年の日露戦争で中断され、完工したのは1906(明治39)年のこと。それも束の間、1907(明治40)年に大火に見舞われます。その直後から進められた再建工事によって、1908(明治41)年に完成した建物が現在の建物です。
 
ロシア革命後にはソ連領事館となりますが、1944(昭和19)年に最後の領事が本国へ引き揚げると閉館されてしまいます。その後、所管していた外務省から1964(昭和39)年に建物を購入した函館市は、その翌年から1996(平成8)年まで青少年宿泊研修施設として一般開放されていました。(函館市公式観光情報サイトはこぶらより転載)
 
現在は、門の外から外観のみの見学なのがとても残念です。内部は異世界へタイムスリップするような帝政ロシア時代の豪華な雰囲気が残っているのでしょうか。それとも、函館ならではの和洋折衷の不思議な雰囲気なのでしょうか。
 
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旧ロシア領事館の屋根を左下に見下ろす坂の上には、小さな公園があり、赤いブランコがあります。
 
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【今日のロシア】函館 称名寺、実行寺、中原悌二郎の墓

2016-09-08

函館 ロシア人墓地とカフェテリア モーリエを後にして旧ロシア領事館へ・・・。その道のりでもたくさんのロシアに出逢いました。

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△開港当初はイギリスやフランスの領事館が置かれていた称名寺。境内には新撰組副長 土方歳三の供養碑や高田屋嘉兵衛の顕彰碑が置かれています。

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△(お写真は函館市公式観光情報サイトはこぶらさんより)

一方、箱館開港後の1858年、ロシア領事の着任当初にロシア領事館としても利用されたのは、実行寺。

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△正門前には、大東亜戦争戦死病殉者供養塔、日露役戦死忠魂塔が建っています。

ほかにも、代表作『若きカフカス人』で知られる近代彫刻の先駆者 中原悌二郎の墓もありました。

 

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この作品を収蔵している茨城県立美術館の公式サイトによると、モデルはコーカサス(カフカス)生まれのニンツァという名の青年です。アジアを放浪していたニンツァは、大正8年来日しますが、かつてハルビンで知り合った画家の鶴田吾郎の友人を介して、新宿のパン屋中村屋に滞在することになりました。中村屋に出入りしていた中原悌二郎は、この頃茨城県平磯で病気療養中のため空いていた友人の画家中村彝のアトリエを借りて、ニンツァをモデルに頭像の制作を始めます。悌二郎の妻信(のぶ)によると、制作が始まって1週間が過ぎた頃、ニンツァがモデルになるのを嫌がりだし、制作途中の作品を「鬼の顔」だと言って壊そうとしたそうです。力強い肉付けによる彫りの深い顔は意志の強そうなモデルの性格をよく表しており、また荒々しいタッチが作り出す陰影が異邦人ニンツァの神秘的な雰囲気を伝えています。この作品について信は、「『鬼を作る』といふのも無理ないと思われる位、ニンツァの虚無的、破壊的な凶暴性といったものがにじみ出て居る。」と回想しています。さらに1週間制作を続けた後、本当に壊されかねないと思った悌二郎は早々に石膏に取り、鋳造までしてしまったといいます。わずか2週間で制作された「若きカフカス人」は、「憩える人」とともに第6回院展に出品され、高い評価を得ました。特に「若きカフカス人」は手法、精神性の両面において絶賛と言ってよいほどの評価を受け、今後の活躍が期待されましたが、その約1年半後、悌二郎は結核により、短い生命を閉じました。また、中村彝が翌年描く『エロシェンコ氏の像』とも深いかかわりをもつものといわれています。

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