ロシア映画の聖地!モスフィルムのスタジオツアー(前編)

2024-10-26

今年2024年はロシア最大の映画会社(映画コンツェルン)モスフィルムの創立100周年を記念する年です。

「ロシア文化フェスティバルIN JAPAN」では、モスフィルムから女優のマリヤ・カルポワを招いて詩の朗読と音楽を融合したコンサートを開催、また11月には「モスフィルム100周年記念映画祭」を開催し、2日間にわたって名画と最新作を一挙公開して大好評を博しました。

△モスフィルム公開の記念映像『モスフィルム100

今回はそんなロシア映画ファンにとって夢のような場所であるモスフィルムのスタジオ見学ツアーへご案内します!映画制作の歴史に触れ、映画の舞台裏を知る貴重なチャンスとして、ロシア人にも海外からの観光客にもとても人気があります。

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△場所はモスクワ南西部、モスクワ川を越えてモスクワ大学のある丘の近くです。

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△モスフィルムへ到着!

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△敷地を入ると巨大な看板に「モスフィルム」と書かれた撮影スポットも用意されていました。数々の名作映画がここで誕生し、そして今もこの敷地のどこかで新しい映画が撮影されていると思うと興奮を隠せません!

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△ツアーの始まりは、モスフィルム博物館です。モスフィルムの名作映画の撮影時に実際に使用されていたセットや衣装、映像機材が保存されており、見学者はそれらを間近で見ることができます。

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△クラシックカーがずらりと並ぶエリアや、豪華な衣装が展示された部屋は、ひとつの博物館のように充実しています。

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△「ルスランとリュドミラ」(1972年)で使用された衣装

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△「アンナ・カレーニナ」(1967年)で使用された家具

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ツアーの参加者からも「この衣装が使われた作品は?」「これ、映画の中で見たことある!」など声があがっていました。

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ここで簡単にモスフィルムの歴史を振り返っていきましょう!

モスフィルム最初の長編映画は、1923年11月、当時の所長であったボリス・ミーヒンが監督した『翼で上空へ』という作品で、そのプレミア上映が行われた1924年の1月30日が創立記念日として祝われています。

1920年代当時、レーニン政権下のソビエト政府は、社会主義革命後の思想を広めるための手段として、映画を活用しようと試みていました。革命のメッセージを普及するための教育ツールとして、映画の力は高く評価され、モスフィルムはその重要拠点として設立されました。

1930年代に入ると、ソビエト映画は社会主義リアリズムを標榜し、政治的なメッセージを強く打ち出していました。当時の映画は、労働者や農民の生活を賛美し、革命精神や社会主義国家の建設を称賛する内容が多くみられました。

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△(写真左上)この時期を代表する映画作品には、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督の『戦艦ポチョムキン』(1925年)があります。革命前夜のロシアを描いた無声映画で、異なるテーマや場面を対比させた映像でメッセージ性を強める「モンタージュ理論」が確立されました。「階段」のシーンは特に有名で、今も映画を学ぶ学生たちにとっては教科書のような存在なのだそうです。ソビエト映画を国際的に広める重要な役割を果たした映画といえます。

戦後、スターリン時代(1940~50年代)においてもモスフィルムは映画制作を続けました。この時期は、ソビエトの英雄的な物語や、戦争映画が盛んに制作されました。特に、戦争映画や革命映画は、戦争や社会主義の勝利を強調するテーマが多くみられました。

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△『イワン雷帝』で使用された衣装

同じくセルゲイ・エイゼンシュテイン監督の歴史映画『イワン雷帝』は、第1部が1944年に、第2部が1946年に完成しました。16世紀のロシアを舞台に、モスクワ大公からロシア皇帝へと即位し、ロシア国家を統一したイワン4世(イワン雷帝)の人生を描いた映画で、第2部はその内容がスターリン政権下で問題視され、長らく公開が禁止されていました。(その後、1958年になってようやく一般公開されました。)その構図や光と影の対比、象徴的なモチーフを多用したシーンが印象的で、視覚的にも力強さが感じられますが、特に、顔をクローズアップすることで登場人物の心理を効果的に描いています。また、作曲家セルゲイ・プロコフィエフによる音楽も、この映画を一層素晴らしいものにしています。

ミハイル・カラトーゾフ監督の『鶴は翔んでゆく』(1957年)は、第二次世界大戦中のソ連を背景に、革新的で美しいカメラワークや印象的な長回しのシーンを用い、戦争の悲劇のなかで若い恋人たちが味わう絶望と犠牲、そして失われた愛情を描いています。第11回カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールを獲得しました。

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△モスフィルム建物内にずらりと並ぶ歴代名監督たちのポートレート

1953年にスターリンが死去し、ソビエト連邦の政治状況が変化すると、モスフィルムは新たな方向性を切り開いていきます。1950年代後半から1960年代にかけては、アート的な映画や実験的な映画が注目されていきます。この時期に活躍したのが、アンドレイ・タルコフスキー監督で、中世ロシアのイコン画家アンドレイ・ルブリョフの人生を描いた『アンドレイ・ルブリョフ』(1966年)を皮切りに『ソラリス』(1972年)、『ノスタルジア』(1983年)、『サクリファイス』(1986年)など、世界中の映画祭でつぎつぎと賞を獲得し、モスフィルムが誇る芸術的な映画作品として名声を確立していきます。

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△セルゲイ・ボンダルチュク監督(写真右上)の『戦争と平和』(1966年)はトルストイの名作を映画化し、豪華な映像とスケールでアカデミー賞外国語映画賞を受賞しました 。

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さらに1970年代にかけては、社会的テーマや人間ドラマに焦点を当てるようになり、ウラジーミル・メンショフ監督『モスクワは涙を信じない』(1980年)も、ソ連時代にモスクワで暮らす3人の女性の友情や愛、自己実現に向かう人生を鮮やかに描き、アカデミー賞外国語映画賞を受賞しました。

エルダール・リャザロフ監督によるロマンチック・コメディ『運命の皮肉、またはいいお湯を!』(1976年)は今も毎年ロシア、新年の時期に放送される伝統的な作品になっています。

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△輝かしい国際映画祭受賞トロフィーの一部も展示されていました。

また日ソ共同制作の映画として、ロシアの探検家ウラジーミル・アルセーニエフの回想録を原作にシベリア奥地で撮影された黒澤明監督の『デルス・ウザーラ』(1975年)や、アレクサンドル・ミッタ監督、吉田憲二監督、栗原小巻さん主演の『モスクワわが愛』(1974年)などの作品が文化交流の象徴となりました。

1980年代に入ると、冷戦時代の影響を受け、社会主義と資本主義が対立する中で、モスフィルムにとっては国内外のさまざまな政治的な圧力のなかでの映画制作が続きます。

そして1991年、ソビエト連邦の崩壊により、モスフィルムも大きな変革を迎えます。

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△カレン・シャフナザロフ監督の『皇帝暗殺者』(1991年)の衣装

1998年から現在までモスフィルムの社長を務めているのは映画監督のカレン・シャフナザーロフ氏。ソ連からロシアへ移行するなかで経営を立て直し、ロシア映画の復興のために伝統を尊重しつつ、デジタル技術を活用した映画制作や国際的な制作協力にも取り組んでいます。監督としても意欲的に活躍をつづけ、歴史映画 『アンナ・カレーニナ:ヴロンスキーの物語』はロシア文学の名作『アンナ・カレーニナ』を基に、新たな視点から愛と運命を描き、世界中でヒットしました。

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△「ロシア文化フェスティバルIN JAPAN」では2010年に「カレン・シャフナザーロフ監督作品映画祭」も開催し、監督が来日。

今年2024年の「モスフィルム100周年記念映画祭」では、監督の最新作『ヒトロフカ、4ノ印ースタニスラフスキー殺人事件』が上映されたほか、デジタル化された過去の映画アーカイブから名画の数々が選ばれました。

(ツアー後半へつづく)

ロシアの朝食の定番、カーシャってなに?

2024-09-24

ロシアでは9月に新しい学年がスタートします。季節の変わり目、たっぷり睡眠をとってしっかり朝食をとって、素敵な1日のはじまりを迎えたいものですね。

さて、ロシアではどんな朝食が人気なのでしょうか?

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△ロシアの朝ごはんの定番はいくつかありますが、卵やロシアのクレープ「ブリヌイ」、そして右下に見えるロシアのお粥「カーシャ」もそのひとつ。

「カーシャ」とは、お粥と翻訳されますが、日本人がイメージするような生米をたっぷりのお水でやわらかくなるまで炊いたものとは違い、セモリナ粉(ひきわり小麦)やお米、オーツ麦、カラス麦、キビ、蕎麦の実などのさまざまな穀物をミルクや水でとろみが出るまで煮たものです。

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△ロシアではホテルの朝食でもよく見かけます。バターを乗せて、お砂糖や蜂蜜、ヴァレーニエというジャムをかけたりして食べる甘いカーシャは幼い子どもにも好まれます。(関連ブログ☆【モスクワ通信】ジャム<ヴァレーニエ<コンポート

ロシアでは幼稚園や学校給食で、朝ごはんも提供されるのですが、「子ども時代はカーシャばかり食べていたなあ」と思い出を語ってくれるロシア人も。

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△お洒落なカフェのブランチメニューでも、このとおりお好みのカーシャを選ぶようになっていました。手前の黄色いカーシャはキビのカーシャ。右上がお米のカーシャ、そして左上が「マンナヤ・カーシャ」と呼ばれるセモリナ粉を使ったカーシャです。

「マンナヤ・カーシャ」の作り方は、セモリナ粉1に対しミルク10くらいの分量でたっぷりのミルクを温め、セモリナ粉を入れて、ゆっくりとかき混ぜながら煮込みます。ロシアでも「ミルクが逃げた(Молоко убежало)」と表現したりしますが、ミルクはちょっと目を離すと吹きこぼれてしまうのでご注意を。最後にバターを落とし、蓋をして、数分蒸らしたら完成です。

この最後にバターを落とすのがポイントで、「バターでカーシャを台無しにすることはない=カーシャにバターを入れれば入れるほど美味しくなる(К кашу маслом не испортишь)」という言い回しがあるほど。

ソ連時代もロシアでも、忙しい朝に手軽に栄養がとれるカーシャは定番の朝食で、スーパーにはさまざまなレトルト商品も並んでいます。

ところで、日本では蕎麦=麺類ですが、ロシアでは脱穀した蕎麦の実を茹でていただくのが主流です。

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△ソ連時代からあるレストランのランチ。

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△蕎麦の実をミルクと煮てお粥状態(蕎麦の実は煮ても粒が感じられるためスープ状態という方が適切?)にして朝食でもいただきますが、一般的にはお湯で煮て、水分が飛ぶまで蒸らし、スプーンで掬うとポロポロと崩れる状態で、こんなふうに朝食以外の食事でもメインの付け合わせとしてよく登場します。

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△ファーストフード店のメニューにある「蕎麦の実のカーシャ」(関連☆【ロシアのファーストフード事情】2017 〜ТЕРЕМОК テレモーク〜)安くて栄養があるので手軽な食事にぴったり。どどんとソーセージやハム&チーズとの組み合わせ!

シンプルな「蕎麦の実のカーシャ」の作り方は、蕎麦の実1カップに対して、お水を2カップほど鍋に入れて、ひとつまみの塩と一緒に煮ます。水気がなくなったら上にバターを乗せ、蓋をして数分間蒸らします。バターが溶け、全体を軽く混ぜたら出来上がり。

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△モスクワのロシア料理店のビーフストロガノフ。付け合わせは「蕎麦の実のカーシャ」です。香りがよく滋味豊かで、病みつきになりそう。

この「蕎麦の実のカーシャ」と「付け合わせの蕎麦の実」の呼び方の厳密な違いはないようで、友人たちに尋ねてみても、感覚的に朝にお粥がわりに食べるならカーシャ、メインの付け合わせとして食べるなら「蕎麦の実」と呼んでいる方が多いようです。「どっちがどっち⁉︎ 頭が混乱する〜!」という私に友人が笑って一言「頭が混乱するとき、ロシア人は、頭の中がカーシャっていうのよ。」

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△付け合わせの「蕎麦の実」には、玉ねぎやきのこ、オリーブオイルを合わせたりして、ボリュームや旨みを加えたものも人気です。

△スーパーの陳列棚にはずらりと蕎麦の実が並んでいます。コロナ禍のステイホーム前に一時期スーパーの食材が買い占め⁉︎とニュースになったときに、がらりとしていたのは蕎麦の実のコーナーでした。長持ちして栄養豊富、しかも安いので、ロシア人にとって欠かせない食材なんでしょうね。

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△日本の朝市で、スーパーフードとして売られていた蕎麦の実。国産のものはロシアで食べていたものよりも少し色が薄い印象です。蕎麦の実は、レジスタントプロテインやレジスタントスターチと呼ばれる体内で消化されにくい成分が含まれており、脂肪やコレステロールの吸収を防いでくれるほか、低GIでグルテンフリーの穀物のため、食後の血糖値の上昇をゆるやかにしてくれます。ミネラル豊富で栄養価が高いため、海外ではダイエット食としても人気があります。

日本でも近年オートミールが人気で、和風に味つけしてご飯がわりに食べるなど工夫されたメニューがたくさん登場していますが、もともとお蕎麦が大好きな日本人ですから、そのうち蕎麦の実のカーシャもブームが来るでしょうか?

△ドイツのグリム兄弟の童話「あまいカーシャ」のロシア語版。

日本では甘いお粥はあまり馴染みがありませんが、ロシアだけでなくヨーロッパでは昔から甘いお粥は朝ごはんの定番のようです。

あなたはいくつご存知?フランスのなかのロシア

2024-08-25

夏のオリンピック・パラリンピックで開催地フランスが注目を集めている2024年8月。

エッフェル塔、凱旋門、シャンゼリゼ通り、ノートルダム大聖堂、ルーブル美術館・・・フランスを旅して魅力溢れる観光スポットを訪れたことがある方も多いのではないでしょうか。

今回のブログでは、定番の旅では満足できない!あなたのために、とっておきの“フランスのなかのロシア”な場所を集めてみました。

〜パリ・マドレーヌ駅にロシア民話のステンドグラス!〜

まるで宮殿や美術館のように芸術的で人気の観光名所にもなっているモスクワ地下鉄。どの駅もそれぞれにテーマがありますが、ノヴォスラヴォツカヤ駅のステンドグラスで飾られたホームの美しさは有名で、映画『モスクワは涙を信じない』でのワンシーンも目に焼き付いています。一方、フランスにも、ロシアゆかりのステンドグラスが美しい地下鉄駅があります。

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△パリの地下鉄マドレーヌ駅構内では、ステンドグラス作品『雌鶏リャーバ(Курочка Ряба)』を見ることができます。デザインしたのはベラルーシ生まれの人民芸術家イヴァン・ルベンニコフで、モスクワの地下鉄マヤコフスカヤ駅やスラビャンスキー・ブリバール駅などを手がけました。

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△総重量は約2.5トン、大きさは約6×10メートル。ガラス部分はウラジーミル地方のグシ=フルスタリヌィの職人たちの手によって制作されました。(→関連ブログ☆モスクワ通信『クリスタル・ガラスの里グシ=フルスタリヌイの世にも美しい聖堂ガラス博物館!』)ロシア正教会の玉ねぎ屋根や十字架、サモワール、クレムリンの赤い星、マレーヴィチの『黒い正方形』などソ連&ロシアのモチーフが点在しています。

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△民話『雌鶏リャーバ』は雌鶏が金の卵を産むが、最後にはちいさなネズミが割ってしまうというお話。ルベンニコフはインタビューのなかで、フランスを象徴するモチーフのひとつにガリア雄鶏があり、このふたつの鶏を関連づけてみることから着想を得たと話しています。

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△2008年にモスクワ地下鉄からパリ地下鉄へ寄贈されたことが記されています。

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△説明パネルによると、2007年にはフランス地下鉄からモスクワ地下鉄へ、フランスの建築家エクトル・ギマールの優美なアール・ヌーヴォー調デザインのエントランス装飾が贈られました。写真左はモスクワのヨーロッパ広場(現・ユーラシア広場)にあるキエフスカヤ駅入り口、写真右はパリのモンマルトルにある12号線のアベス駅入り口です。

〜アレクサンドル3世橋〜

モスクワ川の美しい橋と観光クルーズも大人気ですが(→関連ブログ☆モスクワ通信『モスクワ川クルーズへご案内!』 )、フランス・パリを流れるセーヌ川にも、やはりたくさんの美しい橋が架かっていて、クルーズ船が行き交っています。

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△なかでも最も美しい橋とも称されるのはアレクサンドル3世橋。セーヌ河岸の一部としてユネスコ世界文化遺産になっています。

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△この橋は1900年のパリ万博にあわせてロシアから寄贈されました。フランスとロシアの友好に寄与したロシア皇帝アレクサンドル3世の名前がつけられています。

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△天使やペガサスの彫刻やレリーフなどで装飾されています。4本の柱には、芸術と農業と闘争と戦争をモチーフにした女神像が建っています。今回のパリ五輪ではトライアスロン競技などで使用されたようです。

〜パリ・オペラ座のシャガールの天井画とシャトレ座〜

モスクワのボリショイ劇場の美しい天井画とそこに描かれた女神の謎については以前ご紹介しましたが(→関連ブログ☆モスクワ通信『改装後のボリショイ劇場本館』をご紹介!)、パリのオペラ座でも素晴らしい天井画を見ることができます。

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△豊かな色合いのバレエとオペラ作品に、パリの風景が溶け合った詩情あふれる大きな天井画は、まさに『夢の花束』というタイトルが示すとおり、シャガールから私たちへの贈り物です。今にも音楽が聞こえ、踊りだしそう・・・!1964年9月23日に完成した、シャガール78歳の作品です。

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△1875年に完成したオペラ座(ガルニエ宮)は入場券を購入して自由に見学できるほか、“オペラ座の怪人“をテーマにした演劇仕立てのツアーも人気でした。

一方、フランス最古の劇場のひとつであるシャトレ座では、セルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ・リュス(Ballets Russes ロシア・バレエ団)が1909年に旗揚げ、パリを中心に一大ブームを巻き起こしました。また、シャンゼリゼ劇場では、ストラヴィンスキーのバレエ『春の祭典』の初演が行われ、あまりの前衛性で世界を震撼させました。

〜シャガールも!レーニンも!パリ老舗カフェのラ・ロトンド〜

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△1903年創業の老舗カフェ、ラ・ロトンド(La Rotonde)。ピカソ、モディリアニ、ドビュッシー、コクトー、シャガール・・・!多くの作家や芸術家たちがここに集いました。トロツキーやレーニンといった亡命ロシア人政治家たちのたまり場でもあったそうです。

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△シックで洒落た、赤の空間!

街歩きの途中でひと休み、天才芸術家たちがこよなく愛したカフェで美味しいカフェオレでもいかがでしょうか。

〜クスミティー 150周年!〜

ロシア生まれ、フランス育ちの紅茶ブランド、クスミティー。帝政ロシア時代にサンクトペテルブルクで、パーヴェル・クスミチョフ氏が創業し、ロシア国内でも大手の紅茶メーカーに成長するものの、ロシア革命後に一族でパリへ亡命。その後はフランス人オーナーの手によってフランスを代表する紅茶メーカーのひとつになりました。

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△アナスタシア、サンクトペテルブルク、トロイカなどロシア・ブレンドは人気商品です。

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△2017年の150周年記念商品。ロシアでも、海外ブランドと並んで高級スーパーなどで購入可能ですが、残念ながらモスクワで路面店はみたことがありません。

可愛いパッケージはお土産にもぴったりですね。

フランスのなかのロシア〜展覧会の絵に描かれたテュイルリー公園、モネと睡蓮〜

ロシア文化フェスティバルIN JAPANでは7月、作曲家ムソルグスキーの生誕185周年を記念して日本舞踊とバレエのコラボ作品『展覧会の絵』が上演されました!この組曲は、親友ガルトマンの遺作展からインスピレーションを得て作曲された親友に捧げる作品といわれています。プロムナードと呼ばれる間奏がそれぞれの曲をつなぎ、まるで、展覧会の部屋をひとつひとつ巡りながら、親友との日々に想いを馳せるような展開になっています。

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△その『展覧会の絵』の第3曲に、パリのテュイルリー公園が登場します。ガルトマン遺作展の作品のなかにこのテュイルリー公園で遊んだり喧嘩したりする子どもたちの様子を描いた作品があったと言われています。当時は約400点も展示されたという遺作の多くを今は確認することが叶いません。ムソルグスキーの自筆楽譜には「遊びのあとの子供たちのけんか」と記されているそうです。

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△さてテュイルリー公園には、印象派の画家クロード・モネの連作『睡蓮』を展示するために作られたオランジュリー美術館があります。「睡蓮の間」と呼ばれる2つの展示室はゆったりとした楕円形で、ぐるりと連作に抱かれて、まるで睡蓮の浮かぶ池のほとりに佇んでいるような気分に。人生でたくさんの睡蓮を描いたモネのこの晩年の大連作は、自身の死後にという約束で寄贈されたもの。オランジュリー(温室)を利用して自然光の差し込む空間での展示にこだわったのだそうです。

さて、せっかくですからモネの絵画で睡蓮を見たら、郊外ジヴェルニーにあるモネの庭へ、本物の睡蓮を見に行ってみましょう!

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△さすが印象派の巨匠!なんて可愛らしいモネの家。壁にたくさんの絵が飾られたアトリエや、明るい黄色のダイニングルーム、水色のキッチン・・・美しいパステルカラーが居心地よく調和して、訪れる人を温かく包み込んでくれます。また、部屋のあちらこちらに浮世絵が飾られていました。

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△造園師でもあったモネ自身が人生をかけて造り上げた理想の庭は、まるで彼の絵そのもののような素晴らしさ!日本にもとても興味を持っていたモネらしく、太鼓橋や竹林、もみじなど和を感じさせる部分も。そこからか日傘をさしたカミーユ夫人と息子さんの声までが聞こえてきそうです。その美しさは、間違いなく人生で目にしたなかで最も美しい風景のひとつでした。

なお、モスクワのプーシキン美術館でもモネの『白い睡蓮』を楽しむことができます。

番外編

〜パリにも!?カフェ・プーシキン〜

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△ロシア・モスクワで最も人気のあるカフェ・プーシキンが、実はフランス・パリにもある!というのは、以前ブログでご紹介しました。(→関連ブログ☆モスクワ通信『フランスにも!? カフェ・プーシキン』)残念ながら現在は閉業してしまったようですが、素敵な店内、メニューの様子をご覧ください。

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△モーニングのブリヌイ・セット。スメタナとサーモン、たっぷりのホイップクリームと蜂蜜やジャムの小瓶

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△サモワールのある美しい書斎風

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△ロシア式アフタヌーンティーもありました。

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△カフェ・プーシキンとキリル文字で書かれたプリャニク(ロシアの伝統的なジンジャーブレッド)や、モスクワのカフェ・プーシキンと同じトリョーシカ・ケーキなどが味わえました。

新しい視点で街を探索してみたら、興味深い夏休みの自由研究が完成しそうですね。