【イスラエルのなかのロシア】〜ヴィア・ドロローサ(悲しみの路)〜

2019-02-09

世界三大宗教の聖地があるエルサレム。旧市街のエッケホモ教会聖墳墓教会までを結ぶ小路は、ヴィア・ドロローサ(悲しみの路)と呼ばれています。死刑の判決を受けたイエス・キリストが十字架を背負い、ゴルゴダの丘まで歩いたとされるキリスト教徒にとっての聖なる道です。

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△白い石畳の城壁、ヤッフォ門からなかへ。

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△第1ステーション:イエスが死刑判決を受けたアントニアの塔のあった場所は、学校の校庭になっていました。きらきらした瞳が印象的な可愛らしい子どもたちやその作品に出逢いました。

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△第2ステーション:鞭で打たれたイエスが十字架を担いだ場所

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△第3ステーション:イエスが十字架の重みに耐えかねて最初に倒れた場所

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△第4ステーション:母マリアがイエスを見守った場所。イコンやマトリョーシカが売られていました。

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△第5ステーション:シモンがイエスの代わりに十字架を背負った場所

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△第6ステーション:ベロニカという女性が絹のハンカチでイエスの顔を拭くと、そのハンカチにイエスの顔が浮かび上がったという場所。

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△第7ステーション:死刑判決文が貼られたという判決の門。ここでイエスは2度目に倒れたという場所でもあります。

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△第8ステーション:イエスがエルサレムの婦人たちに「私のために泣くな、自分たちや子どもたちのために泣くがよい」と慰めた場所

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△第9ステーション:イエスが3度目に倒れた場所。

▽第10〜14ステーション:聖墳墓教会。さまざまな宗派が分割して管理しているそうです。

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△ゴルゴダの丘

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△十字架に釘付けにされた祭壇と悲しみのマリアの祭壇

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△十字架上でイエスが息を引き取った場所

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△イエスの遺体を受け取ったヨセフが綺麗な亜麻布に油を塗ったとされる塗油の石。

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△イエスの墓

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聖書のなかのエピソードや聖書をテーマにした絵画のなかで見たことのあるシーンが目の前に広がり、まるで聖書のなかを歩いているかのようでした。

イエスにまつわる出来事を記念したステーションの間の道は、お土産などを売るちいさなお店が連なっています。

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△キッパと呼ばれるユダヤ教徒の男性がつける帽子

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△手のひらに魔除けの目がついたお守りやモザイク模様の陶器

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夜はヤッフォ門の近くのアルメニア人街にて。

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【イスラエルのなかのロシア】〜モスクワ広場のロシア正教会〜

世界三大宗教の聖地があるエルサレム。地図のなかに“モスクワ広場”を見つけて訪れてみると、白い石造りの美しいロシア正教会がありました。

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△ひとつ、とても惹かれるイコンがありました。もしかして貴方は・・・エリザヴェータ・フョードロヴナではありませんか!1917年のロシア革命の際にもロシアを去ることなく、ロシアの民にその人生を捧げたエリザヴェータ・フョードロヴナは、後にボリシェヴィキに捕えられ、ウラルへ流されて、悲劇の死を遂げます。そしてその遺体はエルサレムに運ばれ聖マリヤ・マグダレナ教会に葬られました。(→優しさに包まれるマルフォ-マリンスカヤ修道院)(→マルフォ-マリンスカヤ修道院で過ごすひととき

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モスクワ広場から、周りを散策します。    

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△路面電車の通る道には、モスクワでも人気のイスラエル発コーヒーチェン店cofixや・・・プーチンパブも!?

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△イスラエルワインの美味しい地元で人気のレストラン

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△ひよこ豆のコロッケ“ファラフェル”

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△イエスが2匹の魚と5つのパンを増やして多くの人々を救う奇跡を起こしたという伝説の残るセントピーターズフィッシュ。

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△食事が終わって外へ出ると、光と噴水のショー!向こうには白い城壁が美しくライトアップされて浮かび上がり、ダビデの塔では、プロジェクションマッピングによる光と音楽のショーも上演されていました。

【ロシア文化フェスBlog】モスクワ通信『家族の想い出がそのままに!トルストイ邸博物館』

2019-02-08

ロシアの文豪レフ・トルストイが1882年(54歳)から20年間、冬の間に住んでいたモスクワの邸宅と庭が、博物館として残されています。 妻ソフィアと2人の娘、5人の息子とともに暮らしていました。

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△庭から見るお屋敷。トルストイと寄り添うソフィアが出迎えてくれます。

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△トルストイ通りの入り口。茶色の木の塀に囲まれた建物や犬小屋まで、文豪トルストイが住んでいた当時のままに再現されています。

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△1階の食堂。グラスの置いてある席が、亭主であるトルストイの席でした。スープボールが大小2つ並んでいますが、菜食主義だったトルストイと、父を尊敬し同じような思想を持っていた次女マリヤは野菜のスープを、それ以外の家族は肉入りのスープを食べていたそうです。

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△上の息子たち3人の部屋。ピアノはのちに音楽家になった長男セルゲイが使用していたもの。

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勉強机では、妻のソフィアがトルストイの原稿を清書していたそう。

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△妻ソフィアは刺繍が得意だったそうです。

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△子供部屋

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△モスクワの芸術学校で学んでいたという長女タチヤナの部屋。明るく社交的で、訪れた客人や親戚(父トルストイのものも!)にサインしてもらい、それを刺繍にしてテーブルクロスにしていました。

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△水道がないためモスクワ川まで水を汲みにでかけ、電気がないためキャンドルを使って生活していたそうです。

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△ピアノのある客間。音楽家のラフマニノフやスクリャービン、リムスキー=コルサコフなど数々の芸術家たちが集いました。故郷のヤースナヤ・ポリャーナで農民の子どもたちのために開いた学校で、1908年2月にトルストイがスピーチしたときの貴重な肉声(発明家エジソンから録音機を贈られたトルストイはこれを大変気に入って、よく使用していました。手紙などを録音した音源がたくさん残っています)や、ピアノが上手だったトルストイが自ら作曲したというワルツの録音(博物館の音源の演奏はピアニストのアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼル Александр Гольденвейзер 。トルトイトイとはチェス仲間だったそう)も聴かせてもらい、私たちもすっかりこの客間でくつろいでしまいました。

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△子どもたちが出し物をしてお客様に見せることもあったそうで、こちらはその手作りのプログラム!

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△妻ソフィアの部屋。アンティークを中心にソフィアのお気に入りのもので占められています。

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△派手な色使いで強い印象を受けるインテリアですが、たくさんの家族の写真や肖像画に囲まれ、ソフィアの家族を想う心が強く現れているようです。

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△次女マリヤの部屋。簡素を好んだ父トルストイの影響を受け、長女の華やかな部屋とはまたガラリと雰囲気が違う素朴な可愛らしさがあります。とても真面目で、ソフィアとともにトルストイの原稿の清書を手伝ったり、日本語を学んだこともあるのだとか。

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△使用人のお部屋。コーヒー豆を挽くミルが置いてありました。

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△トルストイの外套と妻ソフィアの衣装。

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△そしてこの2階の奥の角部屋が、文豪の書斎です。ここで『復活』などの大作が生まれたそうです。

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△こだわりの趣味の部屋でもあります!熱中していたと言うブーツ作りの道具やウエイトリフティングのバーベル(毎朝持ち上げていたそう)、晩年に気に入っていたと言う自転車など愛用の品が展示されています。

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四季折々の美しさを楽しめる美しい庭。トルストイは都会での生活には馴染めず、故郷のヤースナヤ・ポリャーナでの田舎生活を好んでいました。

Музей-усадьба Л.Н. Толстого в Хамовниках http://tolstoymuseum.ru

住所:  Ulitsa L’va Tolstogo, 21