坂の多い街 函館。外国人墓地から、大きな声で歌をうたったり追いかけっこをしたりしながら幸坂を登っていくと・・・
赤煉瓦づくりの旧ロシア領事館があります。日本最初のロシア領事館として、この場所に1906(明治39)年竣工。現在の建物は大火後の1908年に再建されたものです。煉瓦の赤と窓枠や漆喰の白が織りなすコントラストが印象的ですが、玄関には寺院風の唐破風や組物を見せる柱頭などが取り入れられ和洋折衷の魅力があります。
ペリー来航をきっかけに国内初の開港場となった函館(当時は箱館)。日本とロシア間で1854(安政元)年に和親条約が交わされ、その4年後に在箱の初代領事としてゴシケビッチが着任します。当初は、現在の弥生小学校(市内弥生町4)付近にあった実行寺内に仮領事館を開設。1860(万延元)年、ハリストス正教会の敷地内に正式な領事館を構えるも、1866(慶応2)年に起きた火災で焼失し、一時は民家などで執務を行っていたそうです。1903(明治36)年、現在地で始まった新築工事は、翌年の日露戦争で中断され、完工したのは1906(明治39)年のこと。それも束の間、1907(明治40)年に大火に見舞われます。その直後から進められた再建工事によって、1908(明治41)年に完成した建物が現在の建物です。
ロシア革命後にはソ連領事館となりますが、1944(昭和19)年に最後の領事が本国へ引き揚げると閉館されてしまいます。その後、所管していた外務省から1964(昭和39)年に建物を購入した函館市は、その翌年から1996(平成8)年まで青少年宿泊研修施設として一般開放されていました。(函館市公式観光情報サイトはこぶらより転載)
現在は、門の外から外観のみの見学なのがとても残念です。内部は異世界へタイムスリップするような帝政ロシア時代の豪華な雰囲気が残っているのでしょうか。それとも、函館ならではの和洋折衷の不思議な雰囲気なのでしょうか。
旧ロシア領事館の屋根を左下に見下ろす坂の上には、小さな公園があり、赤いブランコがあります。