さて、2泊3日では足りないくらい!カリーニングラード滞在も最終日の8月12日を迎えました。この日はまず、お土産を購入するため、ブランデンブルグ門(Бранденбургские ворота)の中にあるマジパン博物館へ。
市内には、赤煉瓦造りが美しい中世の城塞や城壁が残っており、現在修復されて博物館やレストランになっています。王の門、フリートランド門、フリードリフスブルク門、ロスガルテン門・・・など全部で6つある城門を巡るツアーも人気です。
△(ブランデンブルク門のマジパン博物館 (Музей марципана в Бранденбургских воротах)の入り口
△マジパン(марципан)は、アーモンドプードル(粉末)と砂糖をペースト状に固めた素朴な甘さのお菓子。起源は諸説ありますが、ドイツでは18世紀まで薬局で売られていたのだそうです。様々な型に入れたり、粘土のように手で成形したりして、そのまま頂いたり、デコレーションに使ったりもします。マジパンの歴史、そして昔の貴重な型や美しい化粧箱のコレクションが紹介されています。
△マジパンの歴史、そして昔の貴重な型や化粧箱のコレクションが紹介されています。また、博物館内には、マジパンで作られたカリーニングラードの観光スポットも!
△街歩きで見つけた、ソヴィエトの家や大聖堂、高い橋の脇の小屋など・・・
ソ連時代のアニメ作品をテーマにした特集コーナーには、チェブラーシカやソ連版くまのプーさんの世界がマジパンで表現されていました。
△奥にはお土産用のマジパン屋さんもあります。ドイツ製とカリーニングラード«Поматти» 社のマジパンと、製が販売されていました。1809年ケーニヒスベルク ではポマッティ兄弟が初めてマジパン工場を開き、すぐに評判となりました。ロシア帝国にも輸出され、流行したそうです。
△カラフルで凝った形のマジパンは、贈り物としても喜ばれます。年末年始が近づくと、ドイツでは幸運を運んでくれるアイテムとして豚の形のマジパンが縁起物のひとつなのだそうです。
△ケーニヒスベルク出身の著名人2人、ドイツの哲学者カントと幻想文学の奇才とも呼ばれた作家で作曲家のホフマンのポートレート・チョコレート。ホフマンは、あのチャイコフスキー作曲のバレエ『くるみ割り人形』の原作を書いた小説家で、ケーニヒスベルク大学ではカントの講義を聴講していたそうです。
お土産を購入して、マジパン博物館から鉄道駅を目指します。
△レーニン広場のレーニン像
△途中、カリーニン・エクスプレスという名前のお店を発見!
△駅が見えてきました。すぐ隣のカリーニン広場に建つのがカリーニン像。
△ミハイル・カリーニンは、ウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキに属して活動していた革命家で、その後ソビエト社会主義共和国連邦の最高会議幹部会議長を務めます。レーニン没後は、最高指導者の後継にヨシフ・スターリンを推したと言われ、そのスターリンによってここはカリーニングラード州カリーニングラードと名づけられました。また、カリーニンの出身地であるトヴェリもかつて1931年から1990年まではカリーニンと呼ばれており、現在も通りの名前などにカリーニンの名前が残っています。
△南駅
△13時3分カリーニングラード発のヤンタリ(琥珀)号。ロシアでは各車両の入り口に車掌さんがスタンバイしていて、ここでチケットとパスポートを見せて乗り込みます。
△良い旅を!の文字
△4人用の個室
△琥珀号らしく壁には琥珀で飾られた絵がかけられていました。
△列車が走り出すと間も無く、車掌さんがロシア鉄道グッズを、
△続いて、琥珀やさんが訪れ、商品を紹介して部屋を回っていきます。
△長い鉄道旅のお供に・・・鉄道の立体パズルに挑戦することに。さっそく作り始めると・・・パタパタ、パタパタ、可愛い足音が部屋の前を行ったり来たり。
△お隣の可愛いお客さんがパンツ姿で元気に走り回っていました。さて、くつろいでいると、いよいよ国境が近づいてきました。
△まずはロシアの職員によるパスポートチェック。続いてリトアニアの職員によるチェック。無事に済んでほっと一安心。
△チタンと呼ばれる湯沸かし器。紅茶を頼むと、ティーバックとカップをくださるので、ここでお湯を入れます。マジパン博物館で購入したクラシックなマジパンでティータイム。
△パズルもすっかり完成した19時53分、リトアニアのビリニュスに到着しました。
私にとって初めての旧ソ連圏、バルト3国の旅の始まりです!