20世紀を代表するバス歌手フョードル・シャリャーピン(Фёдор Иванович Шаляпин 1873~1938)が1910〜1922年まで暮らしたモスクワの家とお庭が、現在もシャリャーピンの家博物館として残されています。入り口からは、いつもシャリャーピンの歌声が響いてきます。
カザンで生まれたシャリャーピンは、貧しい家計を支えるために少年時代からさまざまな職につき働いていました。はじめて観たオペラに深い感銘を受けたシャリャーピンは、それから歌手を志します。そしてついに迎えた初舞台を、運良く大事業家で芸術家のパトロンであった鉄道王サッヴァ・マモントフに見初められ、彼が創設したマモントフ私立歌劇場で歌うようになります。(マモントフの創設したホテル・メトロポール1階にはバー・シャリャーピンがあります→【ロシア文化フェスBlog】モスクワ通信『老舗ホテル メトロポールで優雅なアフタヌーンティー』)
1899年からはボリショイ劇場に出演し、『ボリス・ゴドノフ』『イワン雷帝』など数々の作品で輝き名声を得ます。ミラノ・スカラ座、パリ・オペラ座、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場、そして1936年には日本にも来日するなど、世界を舞台にバス歌手として活躍しました。滞在した帝国ホテルには、シャリャーピンのために考案されたというシャリャーピン・ステーキが現在も人気メニューのひとつとして提供されています。(→【今日のロシア】帝国ホテルのシャリャアピンステーキ&パイ)
△シャリャーピンの好んだ料理を実際にシェフが作る動画も見ることが出来ます。作家ゴーリキーや作曲家ラフマニノフ、画家のコロヴィンなど親交のあったたくさんの文化人がこの家を訪れ、美味しい食事や楽しいおしゃべり、ビリヤードを楽しんだそうです。
△シャリャーピンの最初の妻、イタリアのバレエダンサーだったイオラとの間には6人の子宝にも恵まれました。このモスクワの家以外に、サンクトペテルブルグにも2人目の妻マリヤと子どもたちが暮らしていたそうです。
△シャリャーピンの歌声を堪能できるホワイト・ホール。
△オペラ出演時に使用されたかつらとたくさんの鼻!
△この毛皮つきの外套!クストディエフが描いたシャリャーピンを思い起こさせます。
Мемориальный дом-музей Фёдора Шаляпина http://www.shalyapin-museum.org
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