草花や鳥などイングリッシュ・ガーデンの自然をモチーフにした美しいテキスタイルや壁紙デザインで日本でも人気のあるウィリアム・モリスの家博物館ウィリアム・モリス・ギャラリー(William Morris Gallery)へ。
ウィリアム・モリス(1834~1896)が暮らしていた邸宅が博物館になっています。
△モリスが1848年から1856年にここで暮らし、その後、出版者エドワード・ロイドが1857年から1885年まで暮らしました。
△30代のモリスのポートレイト。すでに詩人としても、デザインビジネス業でも成功していました。そして、なによりも愛する妻と2人の娘に囲まれて幸せな家庭生活を送っていました。下に展示されているのは、両親の婚約の時のポートレイトだそう。
△モリスの自画像
この展示室【Meet the Man】では、モリスの生涯について、貴重なゆかりの品や素晴らしい作品の数々とともに味わうことができます。
エセックスの田舎の村Walthamstowで生まれたモリス。自然豊かなElm houseで6歳まで過ごします。身体が弱く、読書が好きな少年だったそう。9歳までは自宅で教育を受けます。子ども時代からすでに中世の建築に興味があり、教会などもよく訪れていたそう。それから寄宿学校へ入学。13歳で父親が亡くなると、再びWalthamstowへ戻ってきて現在ギャラリーになっているWater Houseで暮らし始めます。
△1853年オックスフォード大学のExeter College入学。大学1年のときに生涯の親友エドワード・バーン=ジョーンズにも出逢います。(☆【イギリス国内旅】蒸気機関車で春のコッツウォルズ モリスの天空風呂!ブロードウェー・タワー)。
1857年、ロセッティがthe Oxford Unionの壁を『King Arthur』の伝説のシーンをテーマに装飾することになり、集められた仲間たちのなかにモリスやエドワード・バーン=ジョーンズも含まれていました。レンガに直接塗料を塗るなど経験不足が原因で残念ながらこの作品は数ヶ月で劣化してしまいます。
絵のモデルとしてラファエル前派の芸術家仲間たちのミューズ的存在だったジェーン・バーデンに魅了され、1859年に結婚。貧しい出自のジェーンと周囲の反対や階級の差を乗り越えて結ばれ、ジェーンが洗練されていく様子は『マイ・フェア・レディ』の原作にもなっています。(☆アリス、ハリーポッター、そしてあの人物も!大学の町オックスフォード旅 前編【英国のなかのロシア】☆アリス、ハリーポッター、そしてあの人物も!大学の町オックスフォード旅 後編【英国のなかのロシア】)
△ジェーンと婚約してから、モリスは5年もの歳月をかけ全精力を傾けて、中世を愛する自らの美意識に叶うようなふたりの理想の家づくりにとりかかります。親しい友人でもあったPhilip Webbが設計図を書き、ケント州の果樹園のなかに完成したのがRed Houseです。週末になると芸術家の仲間たちが訪れては、天井を塗ってみたり、刺繍を施してみたり・・・楽しみながら手をかけて家を作りあげて行きました。
△Red Houseのためにデザインされたものや使われていたものたち。中世の本からモチーフを得てジェーンとモリスが二人で刺繍したタペストリーなど。
△モリスははじめてデザインした壁紙。ガーデニングを楽しんでいたモリスが、室内にも中世の庭のような雰囲気をと試してみたものに、Philip Webbが鳥を描き込みました。
△積木で中世の教会を建てたり、ステンドグラスを考えたり、モリス商会で働いてみたり(!)子どもが楽しめる工夫も盛り沢山。
産業革命を経て大量生産されたデザインが溢れるようになった世の中で、手間をかけて生み出す職人仕事の美しさを大切にし、生活と芸術をひとつにするアーツ&クラフツ運動を主導しました。
△V&A美術館のThe Green Dining RoomとSt James’s PalaceのGrand Staircase
△モリスが仕事場で羽織っていたスモッグ(右)「さて、どちらがモリス・スタイルでしょう?」正解は向かって右です。
染織にも興味を持っていたモリスは、当時普及しはじめていた安価なケミカル染料ではなく自然由来の染料にこだわって自分好みの美しい色を生み出すために実験を重ねたそうです。信念に基づいて理想を追求する凝り性のモリスらしいですね!天井には、モリス柄を写し出すスタンプのような染型がディスプレイされていました。
△ステンドグラスも素敵!(☆ウィリアム・モリスのステンドグラスが美しい教会へ、イギリス流の初詣!?)
△1877年にはオックスフォード・ストリートにMorris&Co.(モリス商会)を開店。
△タイルや壁紙のデザインも。たくさんのサンプルを見ているだけでうっとりと時間を忘れます・・・
△社会主義に傾倒していったモリスの一面については初めて知りました。「社会主義同盟」を結成して機関紙を創刊、マルクスの『資本論』を熟読し、独自の社会主義の理想を掲げていたようです。
△1878年にはテムズ川を臨むレンガの邸宅ケルムスコット・ハウスへ引越し(Upper Mall 26)、近所の印刷所(Upper Mall16→14)で理想の書物を追求して「ケルムスコット・プレス」を創設。こうしてモリスの人生を辿ってくると、亡くなった原因がお医者様いわく「ウィリアムモリスだったこと」と言われるだけに、多岐にわたる分野で理想を掲げて、普通の人の何倍も働いていたことが分かります。
△邸宅内の絨毯やカーテン、立ち入り禁止のテープなど細かい場所にもモリスのデザインが使われていて、ミュージアムショップでは、そんなモリス柄のクッションカバーや傘、ポーチなどさまざまな商品を購入することができます。
△自然光の入るガラス張りの天井もモリス柄!
博物館はロイドパークという庭園内にあり、モリスのテキスタイルから抜け出してきたような美しい自然を楽しめます。
△近くの通りの名前にもウィリアム・モリス
△最寄り駅のタイルもウィリアム・モリス柄にインスピレーションを得たデザインされたと書かれていました。