(ロシア文化フェスティバルblogより)
興味深い展示のなかでも「これはすばらしい!」と特に中村喜和先生がご興味を示されたプチャーチン提督の肖像画。戸田村滞在当時(52歳)のときのもの。「油絵は珍しいですね。これはぜひとも東京で多くの人に見て頂きたい!」好奇心からまるで少年のように目をきらきら輝かせ、瞬く間に展示ケースの内側に入り込んで、虫食いや額縁の側面の傷など何か新たな発見はないかと丹念にご覧になる中村先生。
△「戸田でのロシア人の風俗とヘダ号進水式の状況は、たしかにパネルにすると見やすいですね。」どんな展示方法にすべきか、細かいところまで先生のご意見も伺いながら展示予定の品を確認していきます。
△ほかにも、双眼鏡や燭台などプチャーチンが残していったものや、
△もともと墨絵だったものに絵心のあるロシア人が彩色を施したという日ロ合作の掛け軸、
△ディアナ号船内で使用されていたじゅんたんやトランク、花形テーブルなど・・・どれもこれも、ここでしか見ることが出来ないものばかり。
「このように素晴らしい博物館をぜひ多くの方に知ってもらうための良い機会になればと願っております!」併設されている駿河湾深海生物館での打ち合わせにも熱がはいります。
夏には海水浴と海の幸を楽しむロシア人もよく訪れるというこちらの博物館。2階のプチャーチン提督像の目線の先からも、お天気の日には美しい富士山を楽しむことができます!ここで日本とロシアの交流がはじまったことを確かに感じられる一見の価値ある博物館です。
さて、博物館からも近い、日露交渉の舞台跡地にある大行寺からまっすぐにのびている、通称“プチャーチン・ロード”では毎年、戸田港まつりに合わせてパレードが開催されています。(今年は7月18日予定)プチャーチン提督に扮したロシア人も参加し、提督が宿泊したとされる宝泉寺での供養祭やロシア軍艦ディアナ号の乗組員の墓の前でセレモニーも行われます。
(△お写真は元気に町おこし!NPO法人戸田どっとこむさんより)
なお、このプチャーチン・ロード以外にも、日本には、鹿児島に“ゴンザ通り“、宮古島に“ネフスキー通り“があるんですよ。
最後には、沼津市明治資料館で『嘉永七甲寅歳地震之記』の実物を拝見しました。これにはさすがの中村先生も「まさか、本物を見る日がやってくるとは・・・!」と感無量のご様子。繊細な手描きの書物は保存状態もよく、美しい彩色に驚きます。愛おしそうに1ぺーじ1ページ薄紙をめくりながら、「これは何を歌っていると思いますか?」など中村先生によってストーリーが広がっていきます。記念展ではそんな中村先生のレクチャーにも是非ご期待ください!