今週末からいよいよ最新作『クレヴァニ、愛のトンネル』が公開される今関あきよし監督。前作『カリーナの林檎〜チェルノブイリの森〜』を観てから、いつかお話を伺ってみたいと思っておりましたが、この作品の衝撃があまりにも大きくて、どうしても受け止めきれず、話そうとすると涙がこぼれてしまうので勇気がありませんでした。
けれども今回ご縁をいただいて、ついに監督にお会いすることに。監督は、まるでカリーナのような緑色のダウンジャケット姿で(クレヴァニのトンネルような緑、というべきでしょうか!)颯爽と現れました。前日に改めて見直した映画に涙が止まらず目が腫れていた私は、インタビュー開始早々に泣いてしまうという恐れていた事態に陥ってしまいましたが、監督もその場にいらしたスタッフの方も温かくその気持ちを汲み取ってくださって、みんな涙ぐみながら話すという前代未聞の取材になりました。悲しいとか、嬉しいとか、そういう涙ではなく、ただどうしようもなく魂からこみあげてくる、そういう涙でした。
△「チェルノブイリという街には悪魔のお城があって、毒を撒き散らしているんだよ」みんなを助けるため、カリーナは悪魔のお城に行く決意をする。
△ “そうお前はカリーナ。カリーナの花や実のように可愛くて、カリーナの木のように強い子だ“大好きなおばあちゃんの言葉に、少女は自分の名前を泣き虫アレーシャからカリーナにします。ロシア民謡♪カリンカでも歌われているようにロシアではカリーナがとても愛されています。カリーナの甘酸っぱい味、初々しい夏の花と実、なによりも真っ白な雪景色のなかに映える凛々しい愛らしさといったら!(お写真は映画とwikipediaより)
圧倒的に美しいウクライナの大自然、カリーナという名の少女と歌の上手なおばあちゃん 、そして少女をとりまく愛すべき人たち。あまりにも美しいがゆえに、あまりにも哀しい物語と、それでも大地に足を踏ん張って生きて行かなければならない現実と。「決して泣かないで下さい、泣いてもなにも解決しないのだから」劇中のそんな言葉が胸に突き刺さります。
△『カリーナの林檎 〜チェルノブイリの森〜』につづき、今関監督が水野歌さんのイラスト、Rose in many Colorsの音楽とともに演出したアートアニメーション『SACRIFICE〜水の中のカリーナ〜』(SACRIFICE~Pripyat Under Water~)。「この水がしょっぱいのは、たくさんの人間の涙で出来ているからだ」原発事故の被害に苦しんできた人たち、愛する古里を去らなければならなかった人たちの涙を集めたら、きっとこんな海になるのでしょう・・・!
ただ、監督のロシア愛やロシア人とのエピソードは本当に面白くて、笑いすぎて涙がこぼれているのかとおもうくらいに楽しいひとときでもありました。ペレストロイカ直後、あの巨匠 大林宣彦監督とともにムービーカメラを手に、ロシアを彷徨。各地で暮らす一般家庭を何度も訪れては生活を共にして撮影したという経験を持つ今関監督。一緒にサウナに入り素っ裸で湖で泳いだこと、田舎の手づくりウオッカ“サマゴン“で酔いつぶれたり子守唄を歌ってもらったり・・・今やモスクワで何年働いてもなかなか経験出来ないような古き良きロシアの暮らしとロシア人の温かさに触れた監督は、いやあロシアは面白い!ロシアが好きなんだよ!とおっしゃいます。“トラブルから必ずなにか生まれるから、まずは受け止める。それからどうするか考える“と、何もかも乗り越える強さを持っている監督はまさにロシア人気質。
それはまだ 3.11震災前のこと、とある日のラジオで、日本から遥か8000キロ以上離れたウクライナで1986年に発生したチェルノブイリ原発事故が今も終息していないという事実を知った監督の脳裏に、かつてのロシアでの懐かしい日々が甦り、いったいチェルノブイリは今どうなっているのか確かめたい!確かめねばならぬ!という衝動に駆られます。複雑な申請をしてついに許された30キロ圏内の立ち入り禁止区域とそこで暮らし続ける«самосёлы» サマショールィと呼ばれる人たち、放射線量を計測するガイガーカウンターが異常な値を示し続けるなか300メートル前で仰ぎ見た4号炉と禁じられたその裏側で見たもの、血液学センターで出逢った子ども達とその家族、医師・・・そしてそんな区域に隣接し、ソ連時代のままのような時間が流れるウクライナの街のほのぼのとした光景。
誰のなかにも存在する“少女“の魅力を誰にも出来ない形で映画にしてきた今関監督が、新たな映画のヒロインに選んだのはカリーナという名前の病に冒された少女でした。原爆投下という悲しい過去を背負う日本人の監督として、映画冒頭には長崎からウクライナに贈られたという教会の鐘が映し出されます。チェルノブイリの悲劇に映画で祈り、映画で立ち向かう決意から、監督自らの出資で2003年に自主制作がはじまりました。全くのゼロから、監督の熱い思いに共鳴するスタッフが集まっていき、日本・ベラルーシ・ロシアのスタッフ&キャストによる傑作が導かれるように誕生します。そんな映画監督の目で切り取られたサイドストーリーも、ブログ『カリーナの林檎 チェルノブイリの森』で紹介されています。
△2011年4月11日フクシマと2010年3月19日チェルノブイリを訪れ、その映像をまとめた映画のプレ予告。
しかし、当時『少女カリーナに捧ぐ』と題されていたこの映画が公開される日がこないまま、チェルノブイリ原発事故から25年となる2011年に、日本は東日本大震災と原発事故に直面することになります。監督は絶句しながらも、福島の25年後を見据え、改めてチェルノブイリと福島を訪れて、物語のラストに子供たちの映像が付け加えられて公開へと至りました。何度も足を運んだ今関監督が浅草で抱えるほど買ったというお土産のビーズのカラフルなブレスレッドを何本も何本も細い手首に重ねて、カメラ越しに監督に微笑む子供達との絆にも熱いものがこみあげました。
さて昨年2014年、ついに念願叶ってこの映画はモスクワでも上演されました!会場を訪れたカリーナ役の少女ナスチャは、あのときの愛らしい笑顔はそのままに、20歳の母に成長していました。
△絵本版『カリーナのりんご チェルノブイリの森』
多くの子ども達にも見せたいという声から吹き替え版も完成し、多くの母親たちの手によって、またかけがえのない愛すべき存在がいる人たちの思いによって、今も日本全国さまざまな場所でさまざまな形で『カリーナの林檎〜チェルノブイリの森〜』は上映されつづけています。観るたびに、心のなかで小さな原発事故がおこります。けれども、“少女カリーナは死なない“のです。ワクチンが免疫となって病から私たちを守ってくれるように、この物語だけれど現実で、現実だけれど物語である映画の存在が、未来の悲劇から私たちを守ってくれる道標になるのかもしれません。たとえ今は観ることしかできなくても、今観ることはできます。