メトジカ音楽ルームの高塚昌彦の姉です。弟は昨年8月に亡くなりました。送ってくださった「ロシアの声」の録音が見つかり、声を、聞くことができました。本当にありがとうございました。まだ、メトジカ音楽ルームは、けんざいです。
そんなメッセージがTwitterに届きました。ロシアの音楽芸術、音楽家育成に力を注いでこられた故・高塚昌彦氏のお姉様でカフェ・リベッチオを営む五味昌子さんからの突然の悲しいお知らせ。一時帰国でお目にかかった時にはあんなに生き生きとしていらしたのに。到底信じられないものでした。
カフェ・リベッチオを訪ねると、高塚さんそっくりの笑顔でお姉様があたたかく迎えてくださり、
△美味しいランチをいただきながらお話をうかがいました。
店内にはピアノもあって、いつもピアノを弾いていたという高塚さん。九段の一等地に店を構えていたご実家の酒屋さんで、ある日お酒を配達していたホールのピアノを譲り受け、それから姉弟で競うようにピアノを練習しはじめたという幼少時代。聡明で早稲田大学にも東京外国語大学にも合格し、このまま大学に進学するのか、あるいはピアニストとして音楽の道に進むのか、悩んだ末に東京外国語大学のロシア語科へ。そこでロシア音楽と運命的な出会いを果たし、ロシア音楽に捧げる人生を送ることになります。
通訳として蟹工船に乗っていた話など、高塚さん知られざるユニークなエピソードが次から次へと飛び出してきます。
△こちらはコレクションしていた蓄音機のひとつ。購入して、配達される途中だったものだそうで「音色も聴かないままで・・・」と寂しそうに微笑む五味さん。
味わいのある音色が店内に響きました。
△入口のすぐ脇、このカウンター席が高塚さんのお気に入りだったそうです。
△高塚さんの仕事場であり、アーティストを受け入れる拠点にもなっていたメトジカ音楽ルームを改装し、高塚さんの思いを引き継いで音楽家たちに開放される決断をなさって、その記念すべき柿落としが・・・
△4月2日の高塚昌彦氏メモリアルコンサートです。でも、まだ高塚さんに会えるような、そんな気がしてしまいます。
もともと、とにかく自分に自信が持てなかった私の欠点は、周りの人の良い部分をすぐに見つけることができる長所に転じて、インタビュアーとして司会者としての今の私の強みになりました。どんな人をインタビューするときも、その方のファンになってしまいます。だから、完成した音源は、いつも私からゲストの方への声のラブレターになっています。
声のぬくもりっていいな、ラジオのお仕事ってやっぱり素敵だな、改めてそう感じるひとときでした。