スワンボートに乗るのが大好きな息子のリクエストで上野の不忍池へ。秋晴れの体育の日とあって、子どもたちがたくさん!
そのあとに訪れたこちらも、子どもたちに大人気。
下町の街並みが再現され、その風情や暮らしぶりを体感することができます。
△商家(花緒の製造問屋さん)の作業場と帳場。
△長屋には、駄菓子屋さんや銅壷屋さん。一間のなかに、実際に長い間大切に使われていた生活道具と調度品。洗濯したり、お料理をしたり、お店へ出たり・・・ちゃぶ台を囲んで、息子といっしょに駄菓子屋さんごっこをしていると、古時計がボーンボーンと時を刻みます。
△生活感溢れる路地裏。軒下には、鳥かごや薬・漢方として使われていた、ほおずきやみかんのかわが干してあります。ユキノシタやアロエの鉢植えもありますね。洗濯のりとして使用されていた海藻も干してありました。
△2階には、けんだま、すごろく、独楽、ビー玉ぱちんこ、知恵の輪など・・・昔の玩具で遊べるコーナー。週末には街頭紙芝居の実演もあるそうです!
そして普段は実際の銭湯の番台が再現されているコーナーで、ただいま特別展「娯楽の聖地 浅草 ―華やかなる130年―」開催中。浅草オペラや少女歌劇のほか、娯楽の街として愛された浅草六区界隈の魅力が紹介されていました。
△『新宿松竹座 レビュー岡田嘉子一座出演 竹内良一作 帝都復興記念レヴュー 帝都復興更新曲』アンナ・カレニナのポスター!昭和6年頃、松竹楽劇部が出演したときのものだそうです。松竹歌劇団(SKD)の全身である松竹楽劇部が発足したのは昭和3年頃で、宝塚少女歌劇(現・宝塚歌劇団)、大阪松竹楽劇部(現・日本歌劇団)についでの少女歌劇の誕生だったそうです。敗戦後も国際劇場を中心に浅草の地でレビューの灯をともしつづけましたが、平成8年に多くのファンに惜しまれながら歴史の幕を閉じました。
△岡田嘉子さんは、私がモスクワで勤務していたロシア国営国際ラジオ『ロシアの声』(当時のモスクワ放送、今のラジオ・スプートニク)の初代第1級アナウンサーとして活躍された方。当時の日本語課のお部屋には、大きな岡田嘉子さんのポスターが貼られ、伝説のアナウンサーとして敬愛されていました。その真摯なお仕事ぶりやお言葉は歴代のスタッフに受け継がれ、魅力的なお声と貴重な番組の一部はアーカイブに保管されていました。ロシアン・アーツ監修の『ドラマチック・ロシア in Japan 3〜日露異色の群像〜』のなかで、同僚として岡田さんのもとで働いた経験を持つ日向寺康雄チーフアナウンサーが綴っていらっしゃいます。