ひさしぶりのお休みで、修善寺の温泉に行ってまいりました。
温泉街を流れる桂川に沿って、小鳥の声を聞きながら竹林の小径を散策していると・・・和の風景のなかで異彩を放つ洋風建築が!
修善寺ハリストス正教会顕栄聖堂は、顕栄(主の変容)祭を記憶して建てられており、明治45年に成聖されました。ニコライ大主教が病気治療のために修善寺に湯治にいらしたときに、病気平癒を祈願して、70名の信徒と職人によって3ヶ月半の驚異的な期間で完成したと記録されています。このことへの感謝の印として、神田ニコライ堂で預かっていた日露戦争の時に旅順にあった教会のイコノスタス・水晶のシャンデリア・聖母の絵などがこの聖堂に贈られ飾られています。
また、日本人で初めてイコン画家となった山下りん作の十字架の聖像が内部の聖堂にあります。18メートルの鐘楼を揚げる聖堂内のイコノスタスは、色彩、デザインとも他の日本の正教会ではあまり類を見ないものだそうです。
また、2004年に伊豆を直撃した台風22号の影響を受け、聖堂と信徒集会所が大きな被害を受けましたが、現在は無事に修復されました。ロシア正教の洗礼を受けたモイセイ河村伊蔵による設計で、昭和60年に静岡県の有形文化財にも指定されています。モイセイ河村伊蔵が設計し、現在国の重要文化財に指定されている豊橋ハリストス正教会聖堂や函館ハリストス正教会復活聖堂にも通じるヴィザンチン建築の美しさがあります。(内部のお写真と概要は日本正教会HPから、軒下のぶどう飾りのお写真は新井旅館blogから転載させていただきました。)今は、月に1、2度、晩祷・聖体礼儀のときに司祭が訪れ内部へ入ることができます。
弘法大師が修禅寺を開山してから栄えてきた修善寺温泉。ニコライ大主教が訪れたこともあり、明治時代にはロシア正教の布教が盛んになりました。ほかにも伊豆には、柏久保ハリストス正教会があります。
この地区で最も古く明治13年に最初の洗礼が行われました。木造茅葺(かやぶき)の小堂から始まり、その後、現在の会堂が明治42年に建立されました。ロシアから送られたイコンと、山下りんの聖像があるそうです。
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