今年2024年はロシア最大の映画会社(映画コンツェルン)モスフィルムの創立100周年を記念する年です。
「ロシア文化フェスティバルIN JAPAN」では、モスフィルムから女優のマリヤ・カルポワを招いて詩の朗読と音楽を融合したコンサートを開催、また11月には「モスフィルム100周年記念映画祭」を開催し、2日間にわたって名画と最新作を一挙公開して大好評を博しました。
△モスフィルム公開の記念映像『モスフィルム100』
今回はそんなロシア映画ファンにとって夢のような場所であるモスフィルムのスタジオ見学ツアーへご案内します!映画制作の歴史に触れ、映画の舞台裏を知る貴重なチャンスとして、ロシア人にも海外からの観光客にもとても人気があります。
△場所はモスクワ南西部、モスクワ川を越えてモスクワ大学のある丘の近くです。
△モスフィルムへ到着!
△敷地を入ると巨大な看板に「モスフィルム」と書かれた撮影スポットも用意されていました。数々の名作映画がここで誕生し、そして今もこの敷地のどこかで新しい映画が撮影されていると思うと興奮を隠せません!
△ツアーの始まりは、モスフィルム博物館です。モスフィルムの名作映画の撮影時に実際に使用されていたセットや衣装、映像機材が保存されており、見学者はそれらを間近で見ることができます。
△クラシックカーがずらりと並ぶエリアや、豪華な衣装が展示された部屋は、ひとつの博物館のように充実しています。
△「ルスランとリュドミラ」(1972年)で使用された衣装
△「アンナ・カレーニナ」(1967年)で使用された家具
ツアーの参加者からも「この衣装が使われた作品は?」「これ、映画の中で見たことある!」など声があがっていました。
ここで簡単にモスフィルムの歴史を振り返っていきましょう!
モスフィルム最初の長編映画は、1923年11月、当時の所長であったボリス・ミーヒンが監督した『翼で上空へ』という作品で、そのプレミア上映が行われた1924年の1月30日が創立記念日として祝われています。
1920年代当時、レーニン政権下のソビエト政府は、社会主義革命後の思想を広めるための手段として、映画を活用しようと試みていました。革命のメッセージを普及するための教育ツールとして、映画の力は高く評価され、モスフィルムはその重要拠点として設立されました。
1930年代に入ると、ソビエト映画は社会主義リアリズムを標榜し、政治的なメッセージを強く打ち出していました。当時の映画は、労働者や農民の生活を賛美し、革命精神や社会主義国家の建設を称賛する内容が多くみられました。
△(写真左上)この時期を代表する映画作品には、セルゲイ・エイゼンシュテイン監督の『戦艦ポチョムキン』(1925年)があります。革命前夜のロシアを描いた無声映画で、異なるテーマや場面を対比させた映像でメッセージ性を強める「モンタージュ理論」が確立されました。「階段」のシーンは特に有名で、今も映画を学ぶ学生たちにとっては教科書のような存在なのだそうです。ソビエト映画を国際的に広める重要な役割を果たした映画といえます。
戦後、スターリン時代(1940~50年代)においてもモスフィルムは映画制作を続けました。この時期は、ソビエトの英雄的な物語や、戦争映画が盛んに制作されました。特に、戦争映画や革命映画は、戦争や社会主義の勝利を強調するテーマが多くみられました。
△『イワン雷帝』で使用された衣装
同じくセルゲイ・エイゼンシュテイン監督の歴史映画『イワン雷帝』は、第1部が1944年に、第2部が1946年に完成しました。16世紀のロシアを舞台に、モスクワ大公からロシア皇帝へと即位し、ロシア国家を統一したイワン4世(イワン雷帝)の人生を描いた映画で、第2部はその内容がスターリン政権下で問題視され、長らく公開が禁止されていました。(その後、1958年になってようやく一般公開されました。)その構図や光と影の対比、象徴的なモチーフを多用したシーンが印象的で、視覚的にも力強さが感じられますが、特に、顔をクローズアップすることで登場人物の心理を効果的に描いています。また、作曲家セルゲイ・プロコフィエフによる音楽も、この映画を一層素晴らしいものにしています。
ミハイル・カラトーゾフ監督の『鶴は翔んでゆく』(1957年)は、第二次世界大戦中のソ連を背景に、革新的で美しいカメラワークや印象的な長回しのシーンを用い、戦争の悲劇のなかで若い恋人たちが味わう絶望と犠牲、そして失われた愛情を描いています。第11回カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールを獲得しました。
△モスフィルム建物内にずらりと並ぶ歴代名監督たちのポートレート
1953年にスターリンが死去し、ソビエト連邦の政治状況が変化すると、モスフィルムは新たな方向性を切り開いていきます。1950年代後半から1960年代にかけては、アート的な映画や実験的な映画が注目されていきます。この時期に活躍したのが、アンドレイ・タルコフスキー監督で、中世ロシアのイコン画家アンドレイ・ルブリョフの人生を描いた『アンドレイ・ルブリョフ』(1966年)を皮切りに『ソラリス』(1972年)、『ノスタルジア』(1983年)、『サクリファイス』(1986年)など、世界中の映画祭でつぎつぎと賞を獲得し、モスフィルムが誇る芸術的な映画作品として名声を確立していきます。
△セルゲイ・ボンダルチュク監督(写真右上)の『戦争と平和』(1966年)はトルストイの名作を映画化し、豪華な映像とスケールでアカデミー賞外国語映画賞を受賞しました 。
さらに1970年代にかけては、社会的テーマや人間ドラマに焦点を当てるようになり、ウラジーミル・メンショフ監督『モスクワは涙を信じない』(1980年)も、ソ連時代にモスクワで暮らす3人の女性の友情や愛、自己実現に向かう人生を鮮やかに描き、アカデミー賞外国語映画賞を受賞しました。
エルダール・リャザロフ監督によるロマンチック・コメディ『運命の皮肉、またはいいお湯を!』(1976年)は今も毎年ロシア、新年の時期に放送される伝統的な作品になっています。
△輝かしい国際映画祭受賞トロフィーの一部も展示されていました。
また日ソ共同制作の映画として、ロシアの探検家ウラジーミル・アルセーニエフの回想録を原作にシベリア奥地で撮影された黒澤明監督の『デルス・ウザーラ』(1975年)や、アレクサンドル・ミッタ監督、吉田憲二監督、栗原小巻さん主演の『モスクワわが愛』(1974年)などの作品が文化交流の象徴となりました。
1980年代に入ると、冷戦時代の影響を受け、社会主義と資本主義が対立する中で、モスフィルムにとっては国内外のさまざまな政治的な圧力のなかでの映画制作が続きます。
そして1991年、ソビエト連邦の崩壊により、モスフィルムも大きな変革を迎えます。
△カレン・シャフナザロフ監督の『皇帝暗殺者』(1991年)の衣装
1998年から現在までモスフィルムの社長を務めているのは映画監督のカレン・シャフナザーロフ氏。ソ連からロシアへ移行するなかで経営を立て直し、ロシア映画の復興のために伝統を尊重しつつ、デジタル技術を活用した映画制作や国際的な制作協力にも取り組んでいます。監督としても意欲的に活躍をつづけ、歴史映画 『アンナ・カレーニナ:ヴロンスキーの物語』はロシア文学の名作『アンナ・カレーニナ』を基に、新たな視点から愛と運命を描き、世界中でヒットしました。
△「ロシア文化フェスティバルIN JAPAN」では2010年に「カレン・シャフナザーロフ監督作品映画祭」も開催し、監督が来日。
今年2024年の「モスフィルム100周年記念映画祭」では、監督の最新作『ヒトロフカ、4ノ印ースタニスラフスキー殺人事件』が上映されたほか、デジタル化された過去の映画アーカイブから名画の数々が選ばれました。
(ツアー後半へつづく)