ロシアの文豪レフ・トルストイが1882年(54歳)から20年間、冬の間に住んでいたモスクワの邸宅と庭が、博物館として残されています。 妻ソフィアと2人の娘、5人の息子とともに暮らしていました。
△庭から見るお屋敷。トルストイと寄り添うソフィアが出迎えてくれます。
△トルストイ通りの入り口。茶色の木の塀に囲まれた建物や犬小屋まで、文豪トルストイが住んでいた当時のままに再現されています。
△1階の食堂。グラスの置いてある席が、亭主であるトルストイの席でした。スープボールが大小2つ並んでいますが、菜食主義だったトルストイと、父を尊敬し同じような思想を持っていた次女マリヤは野菜のスープを、それ以外の家族は肉入りのスープを食べていたそうです。
△上の息子たち3人の部屋。ピアノはのちに音楽家になった長男セルゲイが使用していたもの。
勉強机では、妻のソフィアがトルストイの原稿を清書していたそう。
△妻ソフィアは刺繍が得意だったそうです。
△子供部屋
△モスクワの芸術学校で学んでいたという長女タチヤナの部屋。明るく社交的で、訪れた客人や親戚(父トルストイのものも!)にサインしてもらい、それを刺繍にしてテーブルクロスにしていました。
△水道がないためモスクワ川まで水を汲みにでかけ、電気がないためキャンドルを使って生活していたそうです。
△ピアノのある客間。音楽家のラフマニノフやスクリャービン、リムスキー=コルサコフなど数々の芸術家たちが集いました。故郷のヤースナヤ・ポリャーナで農民の子どもたちのために開いた学校で、1908年2月にトルストイがスピーチしたときの貴重な肉声(発明家エジソンから録音機を贈られたトルストイはこれを大変気に入って、よく使用していました。手紙などを録音した音源がたくさん残っています)や、ピアノが上手だったトルストイが自ら作曲したというワルツの録音(博物館の音源の演奏はピアニストのアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼル Александр Гольденвейзер 。トルトイトイとはチェス仲間だったそう)も聴かせてもらい、私たちもすっかりこの客間でくつろいでしまいました。
△子どもたちが出し物をしてお客様に見せることもあったそうで、こちらはその手作りのプログラム!
△妻ソフィアの部屋。アンティークを中心にソフィアのお気に入りのもので占められています。
△派手な色使いで強い印象を受けるインテリアですが、たくさんの家族の写真や肖像画に囲まれ、ソフィアの家族を想う心が強く現れているようです。
△次女マリヤの部屋。簡素を好んだ父トルストイの影響を受け、長女の華やかな部屋とはまたガラリと雰囲気が違う素朴な可愛らしさがあります。とても真面目で、ソフィアとともにトルストイの原稿の清書を手伝ったり、日本語を学んだこともあるのだとか。
△使用人のお部屋。コーヒー豆を挽くミルが置いてありました。
△トルストイの外套と妻ソフィアの衣装。
△そしてこの2階の奥の角部屋が、文豪の書斎です。ここで『復活』などの大作が生まれたそうです。
△こだわりの趣味の部屋でもあります!熱中していたと言うブーツ作りの道具やウエイトリフティングのバーベル(毎朝持ち上げていたそう)、晩年に気に入っていたと言う自転車など愛用の品が展示されています。
四季折々の美しさを楽しめる美しい庭。トルストイは都会での生活には馴染めず、故郷のヤースナヤ・ポリャーナでの田舎生活を好んでいました。
Музей-усадьба Л.Н. Толстого в Хамовниках http://tolstoymuseum.ru
住所: Ulitsa L’va Tolstogo, 21