岡田敬介さんについて書かれた産經新聞の佐々木正明 元モスクワ支局長の記事がありましたので、転載したいと思います。
旧モスクワ放送編集委員・岡田敬介さん 波乱の生涯、沈黙守る
【モスクワ=佐々木正明】ロシア国営の外国向けラジオ「ロシアの声」の日本語放送課元編集委員、岡田敬介さん(87)が肺疾患で死去した。出征中にソ連軍へ脱走し、1960年代からソ連政府の公式見解を伝えるモスクワ放送(現「ロシアの声」)で勤務した。ソ連共産党員として特殊任務を担っていたともいわれるが、最後まで波乱に満ちた生涯を詳しく明かすことはなかった。
岡田さんは昨年5月、44年間働いたラジオ局を退社。今月1日、モスクワ市内の自宅で死亡した。4日にロシア正教の教会で葬儀が営まれ、モスクワ郊外の墓地に埋葬された。
1925(大正14)年、兵庫県尼崎市生まれ。44年に学徒動員で出征し、朝鮮半島でソ連軍に脱走した。共産主義を信奉しており、「隊を率いて自主的にソ連軍へ移った。捕虜になったのではない」と語っていた。
終戦後にソ連国籍を取得し、極東カムチャツカでロシア人女性と結婚、長女を授かった。この時期に共産党員になったとみられる。
68年からモスクワ放送日本語放送課に勤務。同放送は戦前にスターリンの指示で創設され、初期には野坂参三・日本共産党元名誉議長の妻、竜さんや樺太から亡命した女優の岡田嘉子さんのほか、シベリアなどに抑留され、ソ連に残った日本軍元兵士らが勤務した。
80年代後半にモスクワにきて同僚になった日向寺康雄(ひゅうがじ・やすお)さんは岡田さんについて、「1人だけ日本人スタッフとは違うロシア人幹部と同じ部屋で働き、特別な地位にあった。日本人とも交流が少なく、終戦後、モスクワに来るまで何をしていたか、実際の任務は何だったか、最後まで固く口を閉ざしていた」と語った。
91年のソ連崩壊後は数回、家族とともに日本を訪れて親族との再会を果たした。晩年は親しい知人らに「家族とともに日本へ帰ることが私の夢だ」とも漏らしていたという。
日向寺さんは、「20世紀の激動のソ連・ロシアで大変難しい時代を生き抜いた。最後は日本で生涯を閉じたかったのだと思う」と心中を推し量った。
東京支局作成の特別番組では、この一時帰国したときのことを、西野肇さんに伺いたいと思っています。今年の年末特番になってしまうかな・・・!?