NHK Eテレ『日曜美術館』で、日本人初のイコン画家としてイコンに生涯を捧げた山下りんが特集されました。
イコンとはロシア正教の聖人や聖書について描かれている聖像画です。信者は教会に飾られたイコンに祈り、また小さなイコンを自宅や車に飾ったり手帳やデスクに置いたりします。
△モスクワ・ウスペンスキー寺院の内部
△教会の前で売られているイコン
△モスクワで私が頂いたイコン。一番上は、ロシアの声モスクワ局から帰国するときにロシア人スタッフの皆様が贈ってくださったものでパレフ塗りの小箱になっています。下の二つのように少し厚みのある木版に描かれているものや、額装されているもの、ロシアでよく売られているテレホンカードサイズのカレンダー状やポストカード状のものなど・・・さまざまあります。
△山下りんのイコン第1作目
幼い頃から絵が好きで、画家として身を立てたいと上京し西洋画を学んでいた学生時代に、友人に誘われた教会で主教ニコライに出逢い入信、23歳でロシア・サンクトペテルブルグへ留学した山下りん。けれども完璧な模写のなかで記名すら許されなかったイコン画の世界と理想としていた近代西洋絵画との狭間で画家として悩み苦しんだ彼女は体調を崩し、当初5年の予定だった滞在を2年に切り上げて帰国します。信者として画家として、いかに描くべきか葛藤の6年を経てようやく44歳のときに1枚のイコンを完成させます。それから81歳で亡くなるまで300点にものぼるイコンを描き続けました。ニコライ2世が来日された際に献上された山下りんのイコンは、エルミタージュ美術館にも所蔵されています。
△北鹿ハリストス正教会のサイトより転載。
いつまでも見ていたいと願うような、美しく慈愛に満ちた山下りんのイコン。山下りんならではの、誰もを優しく受け入れてくれるような微笑み・・・!いつもどこかで出逢ったことがあるような気がしておりました。
「山下りんは、唯一はじめのイコンにのみ名前を記し生涯持っていたといいます。ここで画家としての自分を断念し、そこから人々のために器となってイコンを描き続けたのでしょう」というゲストの姜尚中さんの言葉に、これまで山下りんのイコンに対峙したときに感じていた懐かしさにも似た感情の正体がわかりました。そう、モスクワのマルフォ・マリンスカヤ修道院を訪れたときに受けた印象に似ていたのです。
ロシアの声にほど近い場所にあるこの修道院は、ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世の妻アレクサンドラの姉にあたるエリザベータ・フョードロヴナによって建てられました。当時ヨーロッパで最も美しいと称されたこの女性は、幼馴染みだったロシア皇族セルゲイ大公と結婚。革命家によって愛する夫セルゲイが暗殺されると周囲が止めるのもきかずに真っ先に駆けつけて、その亡骸を拾い集めたといわれています。さらに、獄中の憎き革命家に直接面会し、許しを与えようとしました。悲しみのなかで、エリザヴェータは財産を3つにわけ、ひとつは国に、もうひとつは親戚に、そしてあとは困っているロシアの民衆のためにとこの修道院を建てました。第二の故国となったロシアがどんな状況にあっても、生涯この場所で、修道女としてロシアの民を優しく受け入れつづけたのです。
この修道院を訪れたとき、信者でもない外国人の私を優しく受け入れてくれたエリザヴェータ・フョードロヴナとその想いを受け継ぐ修道女たちの微笑みこそ、山下りんのイコンに感じていたものの正体でした。愛するものを失ったことから、器となって人々の想いを受け入れつづけた魂は、ふたりの女性に共通するものなのかもしれません。
ロシアの声アナウンサーの大先輩である女優 岡田嘉子さんのお写真ととともに、エリザヴェータ・フョードロヴナの写真をいつも大切にデスクに飾っていらっしゃった日向寺チーフアナが、初めてこの修道院に連れて行ってくださった日から、私にとっても特別な癒しの場所になりました。ちょうど、NHKBS『ザ・プレミアム ロマノフ秘宝伝説 栄華を支えた女たち 後編 クレムリン』でも、エリザヴェータ・フョードロヴナと修道院が取り上げられました。
これまで東京のニコライ堂や仙台ハリストス正教会をご紹介いたしましたが、日本におけるロシア正教の教会の約4割は東北地方にあるそうです。山下りんのイコンも東北の教会に多く残されています。番組では、三陸沿岸の港町 大船渡市盛町の盛ハリストス教会と、秋田県にある日本最古の木造ビザンチン様式建造物として秋田杉を使った建物も有名な北鹿ハリストス正教会、そして東日本大震災の火災で焼けてしまった山田ハリストス正教会跡地と仮設教会が紹介されました。
△日本正教会のサイトでは山下りん聖像所蔵教会一覧があります。
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☆教えたいけど教えたくない癒し空間・・・マルフォ・マリンスカヤ修道院