日本人唯一だという夏目漱石のブループラークを訪ねて。(81 The Chase, Clapham, London, SW4 0NR)
たくさんの家が並ぶのになんだかひっそりとした印象の通りにある下宿先は、今も誰かが住んでいるようです。短い滞在中に4回も引っ越しをした夏目漱石が、英国での暮らしに馴染めず、鬱々としながら最後の1年半ほどを過ごした家。この部屋に閉じこもって自分と向き合った時間が、帰国後に英文学者から作家として大成していくなかで、魅力的な作品に昇華していったのでしょうか。確かに、『坊ちゃん』には画家ターナーが(☆海を描くイギリスのターナーとロシアのアイヴァゾフスキー!テート・ブリテン(Tate Britain)の『Tuner’s Modern World』へ)、『草枕』とミレイの絵『オフィーリア』との関係などが思い浮かびます。
△向かいの建物に倫敦漱石記念館 があったそうですが、残念ながら現在は閉館。作家で漱石研究家である恒松 郁生さんが館長としてコレクションを公開した私設記念館だそう。どうか今年も開館しますように・・・!
漱石が英国に到着してはじめに下宿していたのは、英文学の講義を聴講したという大学の近くでした。(関連☆【英国のなかの日本】伊藤博文、五代友厚、夏目漱石も学んだ大学 UCL)
△その後、漱石が2番目に住んだというウエスト・ハムステッドの下宿先がここです(Priory Road, London NW6 3NL) 。1900年11月~12月まで約2週間滞在したそうで、落ち着いた住宅街にあります。
3番目に住んだ家はすでに取り壊されてしまったそうで、最後に暮らした家がブループラークのついた家になります。
今、改めて読み返したい漱石日記。
ちなみに漱石は、ロシアも訪れています。ロシアでの漱石の足跡もいつか辿ってみたいです。
漱石の愛弟子にもロシア人がいます。(関連☆【モスクワ通信】120年の歴史に幕・・・食料品店エリセーエフスキー)
日本での漱石に関するロシアなブログはこちら