【旧ソ連圏 バルト3国 エストニアのなかのロシア】ヴィル門からラエコヤ広場、アレクサンドル・ネフスキー修道院へ

2020-05-08

ロシアの飛び地カリーニングラードから旧ソ連圏のバルト3国を北上する今回のロシアナ旅。リトアニア、ラトヴィア、そしてエストニアへ!(エストニアは1991年に旧ソ連からの独立を宣言し2004年にEUに加盟しています。エストニア語で通貨はユーロ)世界遺産に登録されている城壁に囲まれた旧市街を、下町から山の手へ散策します。

【旧市街・ヴィル門からラエコヤ広場、アレクサンドル・ネフスキー修道院へ】

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△ヴィル門からラエコヤ通りへ続く旧市街のメインストリートのヴィル通り

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△旧市街を取り囲む城塞は一部登れる場所もあります。

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△高台の上に建つアレクサンドル・ネフスキー聖堂の玉ねぎ屋根が見えます。下町を散策しながら山の手のあの聖堂まで行ってみよう!

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△19世紀の逓信局を改築した5つ星ホテル“テレグラフ”1階には、ロシア&フランス料理レストラン“チャイコフスキー”。デザートには伝説のバレリーナの名がついた“アンナ・パブロワ”も。

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△5つ星ホテル“サンクト・ペテルブルク”もありました。ロシア料理レストラン“エルミタージュ”が入っています。

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△“職人の中庭”には、タリンの職人さんによる手工芸品の工房が集まっています。隣の指人形のお店では、チェブラーシカ&わにのゲーナを発見!

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△お土産やさんも多いエリア。もちろんここにもマトリョーシカ !

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△中庭の雰囲気の素敵なチョコレート・カフェ。古いサモワールを花器にしたアレンジが目を惹きます!

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△イコン博物館 

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△夏はテラス!冬はクリスマスツリーが美しいという観光客で賑わうラエコヤ広場。欧州一の歴史を持つ市議会薬局もあり、ロシアの皇帝たちもここで薬を購入していたと言われています。現在も薬局として営業しながら、ミュージアムも併設しており、当時ユニコーンの角(!)やハリネズミ、カエルや蛇なども薬の成分として処方されていたほか、長寿に効く薬としてワインが、失恋に効く薬としてマジパンが売られているそうです。代々伝わるその成分や製法は秘密なんだとか・・・。

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△ロシア料理トロイカも!

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△旧市庁舎。尖塔のてっぺんにはタリンの街のシンボル“トーマスおじさん“。市庁舎内はハンザ同盟カラーの柱が鮮やかな『市民の間』や中世が舞台の恋愛がモチーフとなった彫刻の『議会の間』を見学したり塔から街を眺めたりもできます。タリンには、旧市庁舎の他にも美しい尖塔を持つ建物があり(精霊教会、大聖堂、聖ニコラス教会、聖オレフ教会)、広場のある場所から全てを眺めることができるそうです。

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△下町から山の手(トームペアと呼ばれる丘)へ城壁に沿って登っていきます。海が近いのでカモメが飛んでいます。

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△アレクサンドル・ネフスキー聖堂の近くの展望台からは聖ニコラス教会が見えました。タリン出身の画家ノトケによる作品『死のダンス』を見ることができます。

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△帝政ロシア時代に建てられたアレクサンドル・ネフスキー聖堂。

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△エストニアのなかのロシアのなかの日本!!聖堂の壁には、日露戦争中の1905年5月に、東郷平八郎司令長官率いる大日本帝国の連合艦隊とジノヴィ・ロジェストヴェンスキー司令長官率いるロシア帝国のバルチック艦隊による日本海海戦(対馬沖海戦)での犠牲者に捧げられた記念碑があります。

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△記念コイン作りに挑戦!1€と5セント硬貨を入れてハンドルを回すと・・・アレクサンドル・ネフスキー聖堂の記念コインが完成しました!

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△聖堂の横には、ピョートル1世が滞在したという建物が郵便局になっていました。

アレクサンドル・ネフスキー聖堂の奥には、現在は国会議事堂として使用しているトームペア城(エカテリーナ2世が改築を命じ、優美な宮殿風の建物になっている)とエストニアの国旗がたなびく“のっぽのヘルマン”と呼ばれる塔が残っています。タリンの街を臨むトームペアの最も良い場所にロシア正教会が建っていると言っても過言ではないため、地元の人にとっては複雑な思いもあるようです・・・

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△眺めの良い屋上テラスでいただくのはエストニアのクワス!夕暮れ時のアレクサンドル・ネフスキー聖堂も綺麗です。

→つづく 【旧ソ連圏 バルト3国 エストニアのなかのロシア】タリン旧市街をさらに

モスクワ通信『琥珀、防空壕、マジパン!カリーニングラードでおすすめの博物館3選』

2020-05-07

(ロシア文化フェスティバルblogより)

中世ドイツからソ連、そしてロシアへ・・・歴史を紡ぐ融合の都市カリーニングラードの特徴ある博物館を3つご紹介します。

1 琥珀博物館(Музей Янтаря)

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△琥珀博物館は、世界有数の琥珀の産地として知られるカリーニングラードに、ロシア唯一の琥珀博物館として1979年に開館しました。市内には、赤煉瓦造りが美しい中世の城塞や城壁が点在しており、王の門、フリードランド門、フリードリフスブルク門など全部で6つある城門を巡るツアーも人気です。現在は修復されて博物館やレストランとして利用されるなど観光地化が進んでいます。琥珀博物館は、ロスガルテン門(Росгартенские ворота)とともに残っている塔 の中にあります。

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△地中奥深くに眠っている鉱物からなる他の宝石とは違い、琥珀は地上の植物の樹液(樹脂)が悠久のときを経て化石となったもので、“太陽の石”とも呼ばれています。長い歳月をかけて琥珀が誕生するまでの歴史や、虫や植物などが含まれた珍しい琥珀が展示されています。

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△4kg280gの琥珀の標本

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△トンボの羽が見える琥珀。美しい地球の恵みです。

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△琥珀を採掘している様子のジオラマ

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△サンクトペテルブルク郊外プーシキンにあるエカテリーナ宮殿には、部屋全体が琥珀で装飾された“琥珀の間”があります。かつてプロイセン王からピョートル1世に贈られた琥珀の装飾パネルが原型となり、ピョートル大帝の没後にはエカテリーナ2世が夏の宮殿であるエカテリーナ宮殿に琥珀の間を完成させて特別に好んでいたと言われています。しかし、第二次世界大戦中ナチス・ドイツ軍がソビエト連邦を侵攻し、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)のエカテリーナ宮殿から沢山の宝飾品と共に琥珀の間も奪われてしまいました。琥珀の間の装飾は分解されてケーニヒスベルクへ運ばれ、ケーニヒスベルク城内で保管されていました。しかし空襲で町全体が破壊されると琥珀の間は跡形もなく消滅してしまい、それから現在まで見つかっていません。今もどこかに隠されているのか、誰かが密売してしまったのか、はたまた本当に消滅してしまったのか、想像をかき立てられます。

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△琥珀の間は、その後新たに復元されることになり、1979年から24年かけて作業が行われ、選び抜かれた最高級の琥珀およそ6,000kgを用いて2003年に完成しました。困難を極めた当時の修復の様子についても紹介されていました。

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△エカテリーナ宮殿の飾り箱のレプリカ(1979年)

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△赤から橙色、黄色、緑色、茶色へ・・・美しいグラデーションで魅せる琥珀工芸美術品の傑作はどれも見応えたっぷりです。館内のショップも充実しており、記念に琥珀製品を購入することもできます。 

 

2 防空壕博物館(Музей бункер)

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△続いて、のどかな公園の中に、地下へ続く道。防空壕博物館(Музей бункер) へ。

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△第2次世界大戦でナチス・ドイツ軍が使っていた防空壕が博物館として公開されています。細長い通路の両脇に小部屋があり、展示室になっています。

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△戦時中のジオラマ。空襲により壊滅的な町の様子と、地下の防空壕の中の様子も細かく見ることができました。

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△部屋の様子も当時のままに再現されています。1945年、ここで、ドイツの司令官が降伏の決定を下しました。

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△薄暗い防空壕から外へ出ると夏の強い日差しの下で戦車も展示されていました。

 

3 ブランデンブルク門のマジパン博物館 (Музей марципана в Бранденбургских воротах)

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△ブランデンブルク門(Бранденбургские ворота)の中にあるマジパン博物館へ

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△マジパン(марципан)は、アーモンドプードル(粉末)と砂糖をペースト状に固めた素朴な甘さのお菓子。起源は諸説ありますが、ドイツでは18世紀まで薬局で売られていたのだそうです。様々な型に入れたり、粘土のように手で成形したりして、そのまま頂いたり、デコレーションに使ったりもします。マジパンの歴史、そして昔の貴重な型や美しい化粧箱のコレクションが紹介されています。

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△博物館内にはマジパンで作られたカリーニングラードの観光スポットも。マジパンで作られた“ソヴィエトの家”

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△ソ連時代のアニメ作品をテーマにした特集コーナーには、チェブラーシカやソ連版くまのプーさん

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△奥にはお土産用のマジパン屋さんもあります。ドイツ製とカリーニングラード«ポマッティ(Поматти)» 社のマジパンが販売されていました。1809年ケーニヒスベルク ではポマッティ兄弟が初めてマジパン工場を開き、すぐに評判となりました。ロシア帝国にも輸出され、流行したそうです。

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△カラフルで凝った形のマジパンは、贈り物としても喜ばれます。年末年始が近づくと、ドイツでは幸運を運んでくれるアイテムとして豚の形のマジパンが縁起物のひとつなのだそうです。

飛び地ならではの文化の交差点 カリーニングラードの魅力を味わえる博物館、ぜひ訪れてみてください。

モスクワ通信『中世ドイツ、ソ連、そしてロシア!融合の飛び地カリーニングラード』

(ロシア文化フェスティバルblogより)

世界最大の国土を持つロシアですが、その最西端に、飛び地の小さな州を持っています。ポーランドとバルト三国(リトアニア、ラトヴィア、エストニア)との間にあるカリーニングラード州です。

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もともとはドイツ領のケーニヒスベルクでしたが、1945年、第2次世界大戦で、ナチス・ドイツ軍と赤軍との激しい戦いで壊滅。(第2次世界大戦中には、大量のユダヤ人にビザを発給して命を救った日本人外交官の杉原千畝氏も一時期ここケーニヒスベルクで働いていました。)終戦とともにソビエト連邦のものとなり、最高会議幹部会議長であるカリーニンの名をとってカリーニングラードと名づけられました。その後、ソ連式に都市化されソ連人が移住してきたこの町は、ソ連崩壊後まで閉鎖都市となり、外国人は立ち入ることができませんでした。

現在では古き良きプロイセンを訪ねるツアーなどドイツからの観光客も多く、都市の再開発によってドイツ風の街並みやドイツ料理&ビールを味わえるレストランが出来たり、ドイツとの協力のもとでケーニヒスベルクの歴史を知ることができる観光スポットも大切にされています。ロシアで初開催された2018年ワールドカップでは、カリーニングラードも会場のひとつになりました。

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△モスクワから鉄道ヤンタリ(琥珀)号を使うと市南部の南駅に到着します。(飛行機だと約2時間)

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△南駅すぐ隣のカリーニン広場に建つカリーニン像。ミハイル・カリーニンは、ウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキに属して活動していた革命家で、その後ソビエト社会主義共和国連邦の最高会議幹部会議長を務めます。レーニン没後は、最高指導者の後継にヨシフ・スターリンを推したと言われ、そのスターリンによってここはカリーニングラード州カリーニングラードと名づけられました。(また、カリーニンの出身地であるトヴェリもかつて1931年から1990年まではカリーニンと呼ばれており、現在も通りの名前などにカリーニンの名前が残っています。)

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△カリーニン広場のカリーニン像からレーニン大通りを徒歩数分。今度は、レーニン広場のレーニン像が見えてきました。

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△街の中心にでんと鎮座するのは・・・カリーニングラードのランドマークになるはずだった廃墟の“ソヴィエトの家”!ここにはかつて、中世の赤煉瓦造りが美しいケーニヒスベルク城や城塞がありました(ケーニヒスベルク はドイツ語で“王の山”という意味だそう)。戦後、ソ連によって城は破壊され、代わりに1975年ビジネスセンターの“ソヴィエトの家”が建てられ、そして完成することもなく廃墟となって現在まで残っています。ちなみにケーニヒスベルク城の地下はお墓だったそうで、今もその呪いが・・・なんてささやかれたりもしています。

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△町の中心を流れ、バルト海に注ぐプレゴリャ川の中洲カント島にあるゴシック様式の大聖堂(Кафедральный собор)。ソ連時代は廃墟のままで放置されていましたが、近年ドイツとの協力で修復されました。聖堂の内部にはプロイセンとケーニヒスベルクの歴史関連資料が展示され、上階はドイツの哲学者カントの博物館になっていました。イマヌエル・カントはここで生まれ育ち、ケーニヒスベルク大学の教授として生涯を過ごしました。

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△美しい水の都!ケーニヒスベルクの町を再現したジオラマ。

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△聖堂内はケーニヒスベルクをテーマにした沢山のステンドグラスも見所です。ドイツ騎士団の紋章や武器、衣装なども展示されています。パイプオルガンが自慢の音楽ホールではコンサートも催されていました。

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△建物の裏手には哲学者カントの眠るお墓もありました。また、大聖堂の周りは緑の美しい彫刻公園になっており、たくさんのロシアの偉人の彫像がありました。

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△ピョートル1世像

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△チャイコフスキー像やガガーリン像、ほかにもたくさんのユニークな彫像が点在していました。

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△プレゴリャ川沿いを散策してみましょう。ハニー・ブリッジ(Медовый мост)の欄干には、可愛らしいおじいさん(дедушка хомлин)が座っていました。名前の通り、橋では結婚ホヤホヤの新婚カップルが数組、蜂蜜のようにあまい記念写真を撮っていました。ロシアでは結婚した2人が、ウェディングドレス姿で町の景色の美しい場所をまわり、記念写真を撮る風習があります。そして、橋の上では、永遠を誓って二人の名前を書いた南京錠をかけたりするのです。

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△ドイツ風の街並みが楽しめる川沿いエリア。気持ちよさそうに風を受けて遊覧船が行き来しています。

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△プロイセン時代に魚市場として栄えていた場所は、都市再開発により、“フィッシュ・ビレッジ(Рыбная деревня)”と呼ばれシーフード自慢のお洒落なレストランが並んでいました。写真中央にある灯台の展望台に登ってみると、

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△展望台からは美しいカリーニングラードの町を一望できました。ここからも廃墟“ソヴィエトの家”が見えます。幸せの鳥のモニュメントも。展望台まで階段を登って行く途中には、ガラスの作品やアクセサリーなどが展示販売されていました。

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△バルト海に面した不凍港カリーニングラードはロシア海軍バルチック艦隊の軍事拠点にもなりました。海洋博物館には水族館があるほか、海に関するさまざまな展示を見ることができるそうです。海洋調査船や潜水艦なども公開されています。

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△カリーニングラードからさらに鉄道や車で約1時間、バルト海沿いの町ゼレノグラツク(Зеленоградск)へ足を伸ばすと、夏を満喫できる海辺の保養地になっていました。写真奥は、リトアニアとの国境へつづき、ユネスコ世界遺産にも登録されているクルシュー砂州(Куршская коса)になっています。

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△潮風を感じながら海沿いをゴーカートや自転車でサイクリングしたり、海辺のブランコで夕陽を眺めたり、砂浜でビーチバレーをしたり、思い思いに過ごしています。

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△ゼレノグラツクの可愛らしい街並み。

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△猫の博物館があり、猫の信号、猫のベンチ、猫の家・・・町は猫のモチーフでいっぱい!あちらこちらをのんびりと猫がお散歩しています。

中世ドイツのケーニヒスベルクからソ連、そしてロシアへと歴史を紡ぎ、飛び地ならではの文化の交差点となっている融合の都市カリーニングラードです。