【旧ソ連圏 バルト3国リトアニアのなかのロシア】駆け足でカウナス!杉原記念館、メトロポリス・ホテル、鉄道駅

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首都ビリニュスから第2の都市カウナスへ。ビリニュスがポーランドに占領されていた間、ここカウナスが首都でした。第2次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害により、ポーランドからリトアニアへ逃れてきたユダヤ人は、生き延びるための唯一の手段としてソ連・日本を経由して第三国へと考えていました。そんなユダヤ人に日本の通過ビザを発給して6,000人以上もの命を救った日本人外交官の杉原千畝氏の足跡を辿るため、毎年たくさんの日本人観光客がカウナスを訪れています。杉原千畝氏が領事代理として勤務した旧日本領事館は杉原記念館となっており、また領事館が閉鎖し退去勧告によりカウナスを去る最後の瞬間までビザを発給し続けたという滞在先のメトロポリス・ホテルと鉄道駅を駆け足で回りました。

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△工事により直通電車の代わりに、途中駅から振替バスが出ていました。

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△駅の売店で買ったキビナイ。ビリニュス近郊にある水に浮かぶ美しいトゥラカイ城付近の民族料理だそうです。

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△車窓から見えた不思議な建物

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△高台の閑静な住宅街の中にあります

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△執務室

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△モスクワ日本人学校から贈られた千羽鶴も飾られていました。

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△幸子夫人の部屋には、ケーニヒスベルク時代のことなど、貴重な家族写真とともに紹介されていました。杉原夫妻には4人のお子様がおり、幸子夫人はここカウナスで3男を出産。さらに日本帰国後に誕生した4男となる息子さんは、イスラエル・エルサレムのヘブライ大学を卒業されたそうです。杉原千畝氏はイスラエルから“諸国民の中の正義の人賞”を日本人で唯一受賞しています。(関連☆【イスラエルのなかのロシア】〜まとめ〜

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△外観リニューアル工事中のメトロポリス・ホテル

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△派手なラッピングのトロリーで鉄道駅へ向かいます。

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△地元のマダムが大きなバームクーヘンを手に乗り込んできました。お祝いにも食べられるというリトアニアのバームクーヘン“シャコーティス”

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△駅のお店で、あのバームクーヘン“シャコーティス”を購入!

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△鉄道より速んじゃないかと怖くなるくらいスピードを出す乗合バスに乗って、再びビリニュスへ・・・!

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△ビリニュス新市街にも、杉原千畝氏にまつわる場所があります。スギハラ通りもありますし、

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△ネリス川沿いには“杉原桜公園”と呼ばれる場所があり、杉原千畝氏が学んだ早稲田大学から贈られた記念碑があります。

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日本では、杉原千畝氏が生まれた岐阜県に『杉原千畝記念館』が、また、“命のビザ”によって命を救われたユダヤ人難民が、その後ソ連を通過し(モスクワからシベリア鉄道でウラジオストク へ)、そこから船で上陸した日本の敦賀港にも「人道の港 敦賀ムゼウム』があるそうです。

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