ベスト・オブ・万国館!ソ連館が見せた未来【後編】

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※1970年大阪万博の記憶をたどる前編も公開しています。
太陽の塔とともに歩く“もうひとつの万博”を、ぜひあわせて。
→ 前編はこちら

1970年、大阪万博の熱気を振り返った前編に続き、後編では太陽の塔のまわりにそびえ立ったパビリオン群の中でも、圧倒的な存在感を誇ったソ連館へ、タイムトリップします。

△会場の北端に、“はためく旗”のような外観が印象的な巨大建築が見えるでしょうか。会場の南端にある白い巨大エアドーム型のアメリカ館とは、会場の南北で遠く離れた位置に配置されていたのも冷戦時代ならではでしょうか。

△大阪万博の会場を300分の1のスケールで再現したペーパークラフト。ソ連館の建物の高さは110mで万博会場でも随一を誇り、力強い国家を象徴する堂々としたフォルムで、その頂にはソ連の「鎌と槌」を見ることができました。当時のパンフレットによると、建築家 ミハイル・ポソーヒンらの設計によるもので、施工は日本の竹中工務店。建物内部は地上3階・地下3階まであり、2つの大きな吹き抜けでつながれ、未来都市を想わせる開放的なデザインでした。広大な展示空間を確保するために大スパン構造(柱を極力減らす構造)を実現していました。

アメリカ館のエアドームは、後に日本初のエアドームとなる東京ドーム(1988年開業)の設計技術にもつながっていったと言われていますが、このソ連館も、大規模国際展示場や、国立劇場、国立新美術館など、日本の大空間展示施設へ少なからず影響を与えたという考え方もあるようです。

△「ベスト・オブ・万国館」の1位にも選ばれていたソ連館。

△入館者数でも、ソ連館はなんと1位(28,000,000)に輝きました!未来の夢を求めて、人々は、日本館にもアメリカ館にも、ソ連館にも並んだのです。

目次

ソ連館は何を伝えたか 宇宙開発競争の熱狂とチャイコフスキーのピアノ

1970年制作のソ連の記録映画『Алый стяг в Осака(オサカの紅旗)』では、大阪万博の盛り上がりとともに、ソ連館の内部が記録されています。

△1970年4月22日は、ソ連の指導者レーニンの生誕100周年記念日に重なっていたため、第1会場は「世界最初の社会主義国家の誕生」をテーマに、レーニンの生涯と活動が紹介されました。

△最大の見どころは、最先端の科学技術を体感できる宇宙展示でした。1961年に人類初の有人宇宙飛行を成功させたユーリー・ガガーリンの偉業を称え、宇宙船「ヴォストーク」や、人工衛星「ソユーズ」、月面探査車「ルノホート」など、忠実に再現された模型がずらりと並んでいました。巨大スクリーンには最新の宇宙映像が映し出され、訪れた人々は「科学がここまで来たのか」という驚きと、これからの時代への期待感で胸を高鳴らせたことでしょう。

一方のアメリカ館では、1969年のアポロ12号が持ち帰った本物の月の石を一目見ようと、毎日長蛇の列ができていたそうです。ソ連とアメリカ、それぞれの宇宙開発競争を象徴する展示が、当時の人々を夢中にさせたのです。

また、ソ連館は科学技術だけではなく、文化や芸術の紹介にも力を入れていました。チェーホフやトルストイをはじめ、文豪たちの私物が展示されたほか、当時ソ連館プレスセンターに勤務していたロシア人ジャーナリストの回想の中で、ソ連館に「チャイコフスキーのコーナー」があり、作曲家の私物や楽譜とともにモスクワ郊外クリンの「チャイコフスキーの家博物館」から運ばれたピアノが置かれていたこと、また来訪した当時10歳の天皇陛下がそのピアノに興味を示したエピソードも紹介されていました。案内役を務めたジャーナリストが、陛下に「このピアノで何か一曲いかがですか?」とお誘いしたところ、陛下はピアノの注意書きを指差して、「ここに『お手を触れないでください』って書いてありますよね。私が触ってしまっていいんですか?」とユーモアで応じられ、その場にいた全員が大笑いし、拍手が起こったそうです。(参考文献:ロ日協会К восхождению на трон принца Нарухито, или Встреча с будущим Императором

4月10日の「ソ連デー」には政府代表のウラジーミル・ノヴィコフ団長が来阪し、万博の舞台で日ソ交流をアピールしました。また、会期終盤にはボリショイ・バレエが大阪でも公演して万博を盛り上げました。

△EXPO HALLで催された世界各国のイベントカレンダー。6月16日から25日にかけて、北方ロシア民族合唱団が公演しました。

△フェスティバルホールで開催されたソ連関連の公演ポスター。「ソビエト最古のオーケストラ レニングラードフィルハーモニー管弦楽団(指揮:エウゲニ・ムラヴィンスキー、アルヴィド・ヤンソンス、バイオリン:ボリス・グトニコフ)」

△「スラブ芸術の統括 ボリショイ・オペラ」では、「ボリス・ゴドノフ」「エウゲニ・オネーギン」「スペードの女王」「イーゴリ公」が上演されました。

「未来に必要なのは科学だけではなく、文化や芸術の豊かさ」というメッセージがそこに込められていたのかもしれません。展示を眺めながら、「いつかロシアを旅して、この文化を体感したい」と夢見た来場者も当時は多かったのではないでしょうか。ソ連が新生ロシアへ、そして2006年から始まり来年20周年を迎える「ロシア文化フェスティバルIN JAPAN」を通して、たくさんのロシアの文化芸術プログラムを日本で味わうことができる今へとつながっていくのです。

ソ連館跡地と現在の万博記念公園

△万博公園駅から出発するモノレールが、大阪・関西万博のラッピングデザインに。

広大な万博記念公園は今、木々や花が生い茂る自然文化園へと姿を変えています。パビリオン跡地には、記念プレートが設置されており、ソ連館の跡地は地下水が沸く「春の泉」になっているそうです。万博開催中、会場に隣接して賑わった遊園地エキスポランドは、万博終了後も営業を続けましたが、現在は巨大観覧車のある複合商業施設「EXPOCITY」になり、モノレールを降りた人が次々と吸い込まれていきます。

1970年の大阪万博でソ連館が伝えた「未来への夢」は、半世紀以上を経た今も、そのメッセージは私たちに響き続けています。

2025年の大阪・関西万博を訪れるとき、ぜひ過去の万博の記憶にも思いを馳せてみませんか?50年前の人々が見上げた未来が、今の私たちにどんなヒントをくれるのか。きっと新しい発見があるはずです。

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