チャイコフスキーのベンチと「ハープサルの想い出」~バルト三国エストニア 海辺の保養地ハープサルへ~

そろそろ夏休み。旅の計画を立てていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

今回は、バルト三国エストニアへ。

1991年に旧ソ連からの独立を宣言し、2004年にEUに加盟したエストニア。
公用語はエストニア語、通貨はユーロです。

世界遺産の旧市街をもつ首都タリンをはじめ、
バルト海沿いには、美しい自然と中世の面影が残る小さな町が点在しています。

そんなエストニアを旅していると、
この地を愛したピョートル大帝や作曲家チャイコフスキー、
帝政ロシア時代の建築やロシア正教会など、
長い歴史のなかで育まれてきたロシアとのつながりに出会うことがあります。

現在のエストニアならではの魅力を味わいながら、
この地に残る歴史や文化の重なりにも目を向けてみました。

まずは、ピョートル大帝や作曲家チャイコフスキーも愛したという、
バルト海の小さな保養地ハープサルへ――。

忘れられない夏の一日、「ハープサルの想い出」をたどります。

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△首都タリンからバスに揺られること約2時間弱。旧ハープサル鉄道駅前に到着。

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△現在は使われていない駅ですが、ホームには昔の列車が展示され、

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△小さな博物館も併設されていました。

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△市街地へと続く一本道には木造の家々が並び、その風景はどこかロシアのダーチャ(ロシア人が郊外に持っている菜園付きの別荘)を思わせます。

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△私がハープサルを訪れたのは、ちょうど年に一度のお祭り『白夜の乙女の日々』の開催日でした。

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△城へ続くメインストリートは歩行者天国となり、たくさんの露店や人々で賑わっていました。

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△町を代表するハープサル・レースのお店「ハープサル・レース・センター」

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△19世紀、ロシア皇帝や貴族たちの夏の保養地として栄えたこの町では、女性たちが冬の間にレースを編み、夏になると海辺の散歩道で販売していたそうです。

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△代表的な「すずらん」やライラックの葉モチーフ、そしてセイヨウオキナグサ、ヤナギやハンノキの葉や小枝など主に植物から考案された数十種類の繊細なパターンは、世代から世代へ受け継がれ、今もなお新しいパターンが生み出されています。奥は小さなミュージアムになっており、ハープサル・レースの歴史や作品について紹介されています。

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△19世紀後半、バスケットを前に女性たちが並んでレースを編んでいます。現在も、お客さんが途切れるとすぐ横のバスケットから編みかけのレースを取り出し、ささっと手を動かしはじめます。ここでは職人さんによるワークショップもあるそうです。

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△興味深いことに、その起源についてはロシアのオレンブルク・レースとのつながりを指摘する説もあるそうです。

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△(左)ハープサル・レースを代表するパターン“すずらん”

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△レース編みのウェディングドレスもとても素敵!

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△さらに歩いていると、思いがけず「ハープサルのなかの日本」も発見!お寿司や天ぷらを売る屋台も。

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△そして、伝説のバレリーナ、アンナ・パヴロワの名前がついたアイスクリームを発見!真っ白のメレンゲと赤いベリーの組み合わせが愛らしいデザート「パブロワ」はエストニアで人気があるようで旅の間よく見かけました。

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△13世紀のハープサル城は教会部分のみ修復されて残っています。ここには悲しい恋の伝説も残されています。

昔むかし、ある司祭とハープサルの娘が恋に落ちます。司祭は娘を城に連れてきて、男性聖歌隊の白い衣装を着て長い間そこで暮らしていました。しかし、ある日、城に司教が訪れ、女性だと見破れてしまいます。娘は罰としてこの城の壁に塗り込められてしまったのだとか…。娘の悲しい叫び声は、城中に響き渡っていたそうです。

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△毎年8月の満月の夜には、この「白い貴婦人」の伝説をもとにした幻想的な野外劇が上演され、

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△クライマックスには白い衣装をまとった女性の姿が教会の窓に現れるそうです。

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△やがて、海が見えてきました!

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△木造の瀟洒な邸宅が並ぶプロムナード沿いには、1715年にピョートル大帝が滞在したという質素な家も残されていました。あの身長2mのピョートル大帝のイメージとはかけ離れたこぢんまりとした邸宅で、記念プレートがなければ通り過ぎてしまいそう・・・

△そして、こちらは作曲家ピョートル・チャイコフスキーが滞在した邸宅。1867年、作曲家ピョートル・チャイコフスキーは、10歳年下の双子の弟モデスト&アナトーリーとともに、このハープサルで夏を過ごしました。チャイコフスキーが27歳、ちょうどモスクワ音楽院で教鞭をとっていた頃のことです。早朝、海辺を散歩していたときに出会ったエストニアの少女が口ずさんでいた民謡「Dear Mary」にインスピレーションを受け、のちに交響曲第6番の中にこのメロディーを付け加えたと言われています。

△1940年には海辺のプロムナードにチャイコフスキーのベンチが置かれました。ベンチには、交響曲第6番の中の「DEAR MARY」のメロディーが刻まれていて、実際に音楽も流れますので、ベンチに腰掛けてバルト海を眺めつつ楽しむことが出来ます。

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△交響曲6番。ベンチに刻まれていたメロディーは、第2楽章(この映像では20分過ぎから)

△他にも、チャイコフスキーは、『ハープサルの想い出』というピアノ組曲も残しています。第1曲『城の廃墟』第2曲スケルツォ(4:50)そして第3曲がよく知られている『無言歌』(9:05)

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△この辺りは良質な泥がとれるそうで、現在もスパや保養施設が充実しています。海辺のプロムナードを歩き、静かな海辺の風景を眺めていると、チャイコフスキーがこの町を愛した理由が少しわかるような気がしました。

美しい海と音楽、そして歴史。

忘れられない夏の一日、“ハープサルの想い出”をありがとう!

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