前回のロシア文化フェスティバルBlogでは、ピョートル大帝や作曲家チャイコフスキーも愛したという、エストニアの海辺の保養地ハープサルをご紹介しました。
ロシアの飛び地カリーニングラードから、リトアニア、ラトヴィア、そしてエストニアへと北上したバルト三国の旅。今回は首都タリンへ戻り、世界遺産・タリン旧市街を歩きます。
現在のエストニアならではの文化と美しい街並みを楽しみながら、その風景の奥に積み重なってきた文化や歴史にも目を向けて、「ロシアナ」の視点で歩く、タリンの街歩きへ出発です!(※ホテルやレストランの名称、営業状況は2019年訪問時のものです。)
ヴィル門から中世の旧市街へ

△旧市街の入口、ヴィル門からラエコヤ広場へと続くメインストリート「ヴィル通り」。
城壁の内側へ足を踏み入れると、石畳の道の両側にカフェやレストラン、お土産店が並び、一気に中世の街へ迷い込んだような気分になります。

△旧市街を取り囲む城壁。現在も、一部は上に登って歩くことができます。


△下町から見上げると、高台の上にアレクサンドル・ネフスキー聖堂の玉ねぎ型のドームが見えました。
旧市街を散策しながら、山の手に建つあの聖堂まで歩いてみましょう!
タリンの街角で出会ったロシア文化

△19世紀に建てられた逓信局を改装したホテル「テレグラフ」。当時、1階にはロシアとフランスの料理を楽しめるレストラン「チャイコフスキー」がありました。デザートメニューには、ロシアのバレリーナ、アンナ・パブロワの名を冠した、サクサクのメレンゲと生クリーム、フルーツを使ったデザート「パブロワ」も。(※2019年訪問時)


△他にも、ホテル「サンクト・ペテルブルク」や、ロシア料理レストラン「エルミタージュ」といった名前にも出会いました。(※2019年訪問時)


△タリンの職人たちによる手工芸品の工房が集まる「職人の中庭」。指人形のお店をのぞくと、ロシアの人気キャラクター、チェブラーシカとワニのゲーナを発見!

△お土産店にはマトリョーシカも並んでいました。観光地では必ずと言っていいほど目にする人気のお土産。ロシアで生まれたマトリョーシカも、今では世界中で親しまれるモチーフのひとつとなっています。

△中庭の雰囲気が素敵なチョコレート・カフェ。古いサモワールを花器にしたアレンジが目を引きます。ロシアでは、お茶を沸かす道具として親しまれてきたサモワールが、ここでは実用品としてではなく、街の風景になじむ装飾として、新しい命を吹き込まれていました。

ロシア皇帝も薬を求めたラエコヤ広場の薬局
△旧市街の中心に広がるラエコヤ広場。
夏にはテラス席が並び、冬には大きなクリスマスツリーが飾られる、タリンを代表する場所です。
広場には、15世紀初頭の記録にも登場する市議会薬局「ラエアプテーク」があります。現在も同じ場所で営業を続ける、ヨーロッパ最古級の薬局のひとつで、その名声はロシアにも届き、皇帝たちがここから薬を取り寄せていたとも伝えられています。併設のミュージアムでは、ユニコーンの角と信じられていた薬材や、ハリネズミ、ヘビなど、かつて使われていた薬の材料を見ることができます。
長寿のためのワインや、失恋に効く薬としてマジパンが売られていたというユニークなエピソードも。
△ラエコヤ広場に建つタリン旧市庁舎。尖塔のてっぺんに立っているのは、タリンの街のシンボル「トーマスおじさん」です。
旧市庁舎のほかにも、聖霊教会、聖ニコラス教会、聖オレフ教会など、タリン旧市街には美しい尖塔を持つ建物が点在しています。

△広場にあるロシア料理「トロイカ」のテラスも賑わっていました。(※2019年訪問時)
トームペアの丘でたどる帝政ロシアの足跡
△下町から、トームペアと呼ばれる丘の上の山の手へ。城壁に沿う坂道を登っていきます。海の近い街らしく、空にはカモメが飛んでいました。トームペアは、タリン旧市街の西側にある石灰岩の丘。古くから城や政庁が置かれてきた政治の中心で、現在もエストニア国会議事堂があります。
△丘の上の展望台からは、聖ニコラス教会をはじめ、旧市街の尖塔や赤い屋根を一望できます。
△帝政ロシア時代に建てられ、1900年に完成したアレクサンドル・ネフスキー聖堂。
玉ねぎ型のドームを持つ、タリンを代表するロシア正教会です。重厚で華やかな姿は、多くの観光客を惹きつけるタリンのランドマークのひとつになっています。聖堂の向かいには、現在、エストニア国会議事堂として使われているトームペア城があります。トームペア城は、18世紀後半、ロシア皇帝エカテリーナ2世の治世に大きく改築され、現在の宮殿風の外観となりました。
古くから政治の中心であった丘の上に、異なる時代を象徴する建築が向かい合うように建っています。
△聖堂の壁で見つけた記念碑。そこには、日露戦争中の1905年5月に行われた日本海海戦で犠牲となった、ロシア帝国バルチック艦隊の将兵を追悼する言葉が刻まれていました。
東郷平八郎司令長官率いる日本の連合艦隊と、ジノヴィ・ロジェストヴェンスキー司令長官率いるロシア帝国のバルチック艦隊が戦った日本海海戦。エストニアで、思いがけず日本とロシアの歴史が交差する場所に出会いました。
旧市街を歩いていると、そのほかにもいくつかのロシア正教会を見かけました。
△キリスト変容教会(Собор Спаса Преображения)は、タリンで最も古い鐘のひとつが残ると言われているロシア正教会です。

△聖ニコラス正教会(Никольская церковь)は、帝政ロシア時代の歴史を伝える建物であると同時に、現在も信仰を持つ人々が祈りを捧げる場所として、この街の日常に溶け込んでいました。
ピョートル大帝の記憶が残る旧市街
△聖堂のそばには、ピョートル1世が滞在したと伝えられる建物も残され、訪れた当時は郵便局として使われていました。
△建物の壁には、ピョートル1世がこの家に滞在したことを伝える記念プレートが、エストニア語とロシア語で掲げられています。
タリンの街を歩いていると、教会や宮殿のような壮麗な建築だけではなく、こうした何気ない建物や街路樹にも、ピョートル大帝にまつわる記憶が残されていることに気づきます。

△旧市街の北側、かつて職人たちの住宅が並んでいたライ通りへ足を伸ばすと、29番地の建物の前に2本の菩提樹があります。夏の暑い日にこの通りを訪れたピョートル大帝が、木陰で休めるよう植えることを命じたという伝説が残されています。
△(写真左)ライ通り38・40・42番地に並ぶ、通称「三人兄弟」。色や高さ、窓の形が少しずつ異なる3棟の中世商人住宅が、兄弟のように肩を寄せ合っています。(写真右)ピック通りには、15世紀の商人住宅「三人姉妹」。切妻屋根や、屋根裏へ荷物を引き上げるためのクレーン跡が、中世の商人たちの暮らしを今に伝えています。
「三人兄弟」や「三人姉妹」と聞くと、ドストエフスキーやチェーホフを思い浮かべてしまう方もいらっしゃるかもしれませんが、実際にはロシア文学とは関係なく、よく似た建物が3棟並ぶ姿から、この愛称で親しまれています。

△観光名所“のぞき見トム”の家やブラックヘッド・ハウスをはじめ、カラフルで個性豊かな扉を持つ美しい建物が並び、中世の面影を今に伝えています。
タリン・ロシア博物館で知る、この街のロシア語文化
△旧市街には、タリン・ロシア博物館もありました。
私が訪れたときには、「1715年から1944年までのタリンにおけるロシア語教育」を紹介する企画展が開催されていました。

△当時の学校や先生の写真、授業で使われていた教材や学用品、テスト、成績表などが展示されています。時代が移り変わっても、この街で学び、暮らしてきた人々の日常があったことを感じます。2階のギャラリーでは、ロシア・コストロマ出身でエストニア在住の画家クジャ・ズヴェレフさんの作品展も開催されていました。
また、旧市街の外には、ロシア語による舞台作品を上演するエストニア・ロシア劇場もあります。博物館や劇場を通して、ロシア語文化が現在もこの街に息づいていることを感じました。
20世紀の歴史を伝える場所
一方で、タリンには20世紀の歴史を伝える場所も残されています。
△旧市街のパガリ通り1番地に残るKGB監獄跡。ソ連時代には治安機関NKVD、のちのKGBの施設として使われました。

△地下には、当時使用されていた監房が保存されています。
このほか、ホテル・ヴィルの上階に設けられたKGB博物館や、エストニアの20世紀史を紹介するVabamu占領と自由博物館などもあります。
中世から現代まで、さまざまな時代の歴史が一つの街の中に残されていることも、タリンの特徴のひとつです。
旧市街の外に残るピョートル大帝の足跡

△ピョートル大帝の邸宅。
ピョートル大帝は妻エカテリーナ1世とともにこの小さな邸宅に滞在し、その後、海辺にカドリオルグ宮殿と庭園を造らせました。「カドリオルグ」とは、「エカテリーナの谷」という意味です。壮麗な宮殿の建設中に滞在していたというこの家は、ハープサルで見た邸宅と同じく、意外なほど小さく質素でした。 海や庭園、そして噴水を愛したピョートル大帝。 その美意識は、現在も美しいカドリオルグ公園に受け継がれています。
海を見つめるルサルカ記念碑

△ピリタ海浜遊歩道に立つルサルカ記念碑。
1893年、タリンからフィンランドへ向かう途中、嵐で沈没したロシア帝国海軍の軍艦「ルサルカ」と、その犠牲者を追悼するために建てられました。
エストニア人彫刻家アマンドゥス・アダムソンによる作品で、天使はロシア正教の十字架を掲げ、船が沈んだ海の方角を見つめています。
帝政ロシア海軍の犠牲者を悼む記念碑でありながら、エストニア人芸術家によって生み出された作品。
ここにもまた、エストニアとロシアの歴史が、一つの風景の中に静かに重なっていました。

美しい街に刻まれた、幾層もの時間
中世の面影を残すタリンの街には、エストニア固有の文化を中心に、ドイツやデンマーク、スウェーデン、帝政ロシアなど、さまざまな時代の歴史が幾層にも重なっています。
ピョートル大帝の足跡、今も祈りの場であるロシア正教会、この地で育まれてきたロシア語文化。そして、20世紀の歴史を伝える場所。
その一つひとつに目を向けることで、この街の姿がより立体的に見えてきました。
「のっぽのヘルマン」や「太っちょマルガレータ」など、タリンでは、建物や塔に親しみを込めた愛称が付けられているものも多く、どこか童話の世界のような温かさも感じました。
ロシアとの文化的なつながりという視点から歩いてみると、その美しい街並みの奥に重なる、タリンの新たな一面が見えてきました。
