今回は豊島区にある雑司ヶ谷霊園でロシアを探してみましょう。
ラファエル・フォン・ケーベル博士(Рафаэль фон Кёбер 1848年 – 1923年)は、ロシアのニジニノヴゴロド出身のドイツ系ロシア人で、明治政府のお雇い外国人として来日し、東京帝国大学(現 東京大学)で教鞭をとった哲学者です。幼い頃からピアノの才能があり、モスクワ音楽院では、あのチャイコフスキーやルビンシテインに師事しました。卒業後は、音楽家の道ではなく、ドイツで哲学を学びますが、来日中には、東京音楽学校(現 東京藝術大学)でピアノを教えていたほか、1901年(明治34年)の日本女子大学校(現 日本女子大学)開校式のための『日本女子大学校開校式祝歌』を作曲したり、1903年、日本におけるオペラ初演の際に、ピアノ伴奏を担当したとも言われています。日露戦争から第一次世界大戦への過酷な時期を日本で過ごしたケーベル博士は、晩年にロシア正教からカトリックに改宗したため、その墓にはカトリック十字架が立てられています。
大変学生たちに慕われていたというケーベル先生の教え子のひとりであった夏目漱石は、後年に随筆『ケーベル先生』を著しています。小説『こゝろ』のなかで先生が墓参りに通う舞台にもなっている雑司ヶ谷霊園には、そんな夏目漱石のお墓もあります。
来日中に、ケーベル博士の専属料理人を務めていたのが、千代田区神田 淡路町の西洋料理店「松栄亭」初代店主の堀口岩吉氏でした。当時、駿河台のケーベル邸を訪れた夏目漱石は、ここで御馳走になった“洋風かき揚げ“をいたく気に入り、初代が開店する際にメニューに加えたといわれています。創業明治40年からの古き良き時代の味は、今も看板メニューとして愛され続けています。
なお、『日本のなかのロシア』をさらに詳しくお知りになりたい方には、『日本のなかのロシア』シリーズ全4冊(東洋書店ユーラシア・ブックレット)や、『ドラマチック・ロシア IN JAPAN』1〜3(生活ジャーナル、東洋書店)をご参照ください。