【ロシア文化フェスBlog】日本のなかのロシア〜下田・日露和親条約が締結された長楽寺〜

2016-06-30

ロシア文化フェスティバルblogより)

雨上がりの紫陽花が風情を醸し出している伊豆・下田のペリーロードを歩いてきました。ペリー来航により日米和親条約が締結され、下田と函館の2港の開港が決まりました。即時開港したのが下田で、日本で最初に開港した港町として知られています。

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小径を通って、日露和親条約が調印された大浦山 長楽寺へ。

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安政元年(1854年)、この長楽寺において、日本全権 筒井政憲・川路聖謨とロシア使節海軍中将プチャーチンとの数回におよぶ交渉の結果、日露和親条約(日露通好条約)が締結されました。ロシアとの交渉が始まった時、安政東海地震による津波で下田の街は大きな被害をうけました。下田港に寄港していたロシア艦船ディアナ号が沈没してしまったのもこのときです。交渉は一時延期となり、本来予定されていた場所から、高台に位置して被害の少なかった長楽寺に変更されて、締結に至ったそうです。

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これによって、国境が定まり、択捉・国後・歯舞・色丹は日本領に、千島列島はロシアに属し、樺太については日露両国人の雑居をみとめることになりました。(日露和親条約が締結された2月7日は、1981年から「北方領土の日」と定められています。)また安政2年(1855年)、先に締結された日米和親条約批准書の交換が、この長楽寺においておこなわれました。

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装飾の美しい真言宗の長楽寺の本堂へ。

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△ お釈迦様の足のうえに、自分の足をのせることができます。

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境内には6角形の宝物館(資料館)が2つあり、受付で入館料を支払って入ります。片方はロシア関連のコレクションになっていました。

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薄暗い室内に並ぶコレクション。係の方がご丁寧にひとつひとつ説明をしてくださいます。

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プチャーチン提督の胸像。手前が日本人が作成したもの、奥のレリーフがロシア人作成のもの。少し表情に違いがあって興味深いです。

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日露和親条約の批准書の複製もありました。

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ソ連時代から寄贈されてきた時代を感じさせるロシア雑貨の贈り物も展示されていました。

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かつては毎年のように、在日本ロシア大使館の方がご挨拶にみえたり、ロシアからの留学生グループを迎えたりしていたそう。

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突然の土砂降りの雨のなかを長楽寺に駆け込んだのですが、こちらで雨宿りしながら拝観しているうちに霧雨となり、みるみる信じられないような青空が広がりました。記念にとお守りを頂いて、後光のさす長楽寺を後にしました。

過去関連ブログ

記念展の舞台裏!戸田造船郷土資料博物館へ 〜前編〜

日本とロシアの交流のはじまり!戸田造船郷土資料博物館 〜後編〜

 

【ロシア文化フェスBlog】日本のなかのロシア〜豊島区・雑司ヶ谷霊園〜

2016-06-01

今回は豊島区にある雑司ヶ谷霊園でロシアを探してみましょう。

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ラファエル・フォン・ケーベル博士(Рафаэль фон Кёбер 1848年 – 1923年)は、ロシアのニジニノヴゴロド出身のドイツ系ロシア人で、明治政府のお雇い外国人として来日し、東京帝国大学(現 東京大学)で教鞭をとった哲学者です。幼い頃からピアノの才能があり、モスクワ音楽院では、あのチャイコフスキーやルビンシテインに師事しました。卒業後は、音楽家の道ではなく、ドイツで哲学を学びますが、来日中には、東京音楽学校(現 東京藝術大学)でピアノを教えていたほか、1901年(明治34年)の日本女子大学校(現 日本女子大学)開校式のための『日本女子大学校開校式祝歌』を作曲したり、1903年、日本におけるオペラ初演の際に、ピアノ伴奏を担当したとも言われています。日露戦争から第一次世界大戦への過酷な時期を日本で過ごしたケーベル博士は、晩年にロシア正教からカトリックに改宗したため、その墓にはカトリック十字架が立てられています。

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大変学生たちに慕われていたというケーベル先生の教え子のひとりであった夏目漱石は、後年に随筆『ケーベル先生』を著しています。小説『こゝろ』のなかで先生が墓参りに通う舞台にもなっている雑司ヶ谷霊園には、そんな夏目漱石のお墓もあります。

来日中に、ケーベル博士の専属料理人を務めていたのが、千代田区神田 淡路町の西洋料理店「松栄亭」初代店主の堀口岩吉氏でした。当時、駿河台のケーベル邸を訪れた夏目漱石は、ここで御馳走になった“洋風かき揚げ“をいたく気に入り、初代が開店する際にメニューに加えたといわれています。創業明治40年からの古き良き時代の味は、今も看板メニューとして愛され続けています。

なお、『日本のなかのロシア』をさらに詳しくお知りになりたい方には、『日本のなかのロシア』シリーズ全4冊(東洋書店ユーラシア・ブックレット)や、『ドラマチック・ロシア IN JAPAN』1〜3(生活ジャーナル、東洋書店)をご参照ください。

【ロシア文化フェスBlog】日本のなかのロシア〜北区・染井霊園〜

2016-05-30

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今回は、豊島区にある染井霊園でロシアを探してみましょう。園内には染井の地が発祥と言われているソメイヨシノ約100本があり、桜の春はもちろん四季折々の美しい並木道をつくっています。

この墓地のすぐ隣には、かつて東京外国語大学の西ヶ原キャンパスがありました。そしてロシア語科を卒業した作家の二葉亭四迷のお墓もここにあります。ロシア語科に入学した学生は、最初の授業で教室を飛び出し、皆でこの偉大な大先輩のお墓にご挨拶に伺うというのが恒例でもありました。

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△本名である長谷川辰之助之墓と記されています。
 

ロシアの南下政策から国を守るために敵の国情を知ろうとロシア語を習得する過程でロシア文学に出逢い、当時まだ未熟だった明治文学に理論的支柱を与えることになった『小説総論』や言文一致体で執筆された小説『浮雲』を発表。さらに、ツルゲーネフ『あひゞき』『めぐりあひ』などを翻訳しました。文学者としてはもちろん、朝日新聞の特派員としてロシア・ペテルペテルブルグへ赴くなど、終生政治的関心も持ち続けました。(『日本のなかのロシア』より)

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さて、桜の名所として名を連ねる日本の墓地ですが、一方で森のように緑が溢れるロシアの墓地も覗いてみましょう!

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モスクワの観光名所のひとつでもある Новодевичье кладбище(ノヴォデヴィチ墓地)は、ひとつひとつのお墓が彫刻のようユニークで、詩が刻まれていたりするのでお散歩を楽しむ人も多い場所です。

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ここにはロシアで尊敬され愛されているたくさんの文化人・著名人が眠っています。まるでその人を象徴するようなお墓は、どれもこれも綺麗に手入れされ、お花でいっぱいです。

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△文豪ゴーゴリ

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△アヴァンギャルドな作風で知られる詩人マヤコフスキー

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△作曲家ショスタコーヴィチ

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△サーカスの道化師ユーリー・ニクーリン。
今でも彼の名を冠したニクーリン・サーカスは大人気!
たくさんの動物に囲まれていて今にもサーカスが始まりそう。

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△バレリーナのウラノワはお墓まで美しい・・・!

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△エリツィン初代ロシア大統領
ロシアの国旗がモチーフになっていてとにかく大きい!

ロシアへいらっしゃったらぜひ訪れてみてくださいね。なお、『日本のなかのロシア』をさらに詳しくお知りになりたい方には、『日本のなかのロシア』シリーズ全4冊(東洋書店ユーラシア・ブックレット)や、『ドラマチック・ロシア IN JAPAN』1〜3(生活ジャーナル、東洋書店)をご参照ください。