モスクワ通信『改装後のボリショイ劇場本館』をご紹介!

2017-11-06

ロシア文化フェスティバルblogより転載)

ロシアといえばボリショイ劇場のバレエやオペラを思い浮かべる方も多くいらっしゃると思います。本館は約6年間もの長い修復工事を終えた2011年に、趣きはそのままに美しくリニューアルされました。ギリシア神話に登場する太陽神アポロンの4頭立ての馬車の銅像、ファサードには双頭の鷲。劇場広場の噴水前は、いつも劇場を愛するロシア人や世界各国からの観光客で賑わっています。

 

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1776年、女帝エカテリーナ2世がピョートル・ウルソフ公に劇場をひらく特権を与えたところからボリショイ劇場の歴史が始まったと言われています。1780年にペトロフスキー劇場として現在の場所に開館(現在も劇場脇の通りはペトロフカ通りと呼ばれています)。その後、幾度となく火事などの災難に見舞われますが、1856年にアレクサンドル2世の戴冠の日に合わせて、ボリショイ劇場としてオープンしました。

 

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△毎年秋、劇場シーズンが始まると、チャイコフスキーの三大バレエ『白鳥の湖』『眠りの森の美女』『くるみわり人形』や、ハチャトリアンの『スパルタクス』などの人気演目に加え、意欲的な新作も上演されています。この日は彫刻家ロダンの生涯をテーマにした『ロダン』。2002年に開館した隣接の新館とともに、オペラとバレエが交互に上演されています。

 

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ホール天井には、豪華絢爛なシャンデリア!高さ8m×幅6m、重さ2トンもあり、24000個のクリスタルで彩られています。そしてこのシャンデリアの上には、なんと劇場と同じ大きさのリハーサルルームが存在しているということも驚きです。緞帳の奥の舞台には3%の傾斜があり、ボリショイのダンサーたちはそこで優雅に踊ることを求められます。

 

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天井画には、アポロンと9人の女神たちが描かれていますが、実はもう1人、パレットと筆を持つボリショイ劇場オリジナルの女神が描かれていることをご存知でしたでしょうか?現在お土産ショップでは、この天井画の柄の雨傘も人気商品のひとつになっています。

 

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△総1740席のなかにはステージ両脇のBOX席など一般には販売されていない特別なシートもあり、芸術監督やスタッフ、特別なお客様が鑑賞するときに利用されます。なかでもステージ下手側のBOX席は、通称”スターリン席”と言われています。かつてレーニンによって解体の危機にさらされた劇場を救ったのは、バレエをこよなく愛していたと言われる次の指導者スターリンでしたが、暗闇で鑑賞中に危険にあわないようにと、奥まったこの場所で楽しんだのだそうです。

また、天井桟敷には立ち見200席も用意されており、両脇のステージが物理的に見えないお席にはモニターも用意されています。

 

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△これぞロシア!という深みのある赤色のシート。ロイヤルボックスの奥にはミニキッチンやトイレなどもついていて、観劇の合間にも来賓がくつろげるようになっています。また、ロイヤルボックスの双頭の鷲の飾り以外の内装はすべて、紙や木を中心に楽器を作るための素材からなっており、ホール全体が最高の音質で響くように考えられているそうです。

 

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△1856年にボリショイ劇場としてオープンした記念の年号プレートがホールの扉の上に飾られています。

 

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△最上階のグランドカフェには、ソファ席も用意され幕間におしゃべりをしながらゆったりと過ごすことが出来ます。下階にもカフェ&バースペースが用意されており、シャンパンやコーヒー、オープンサンドやフルーツ、ケーキなどを楽しむことが出来ます。

 

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△白のホワイエへと続く赤絨毯の大階段は、ちょうどドレス姿の女性がすれ違える幅に設計されているそうです。

 

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△白のホワイエでは、ドレスアップしたお客様たちが記念撮影をしたり談笑したりとなごやかに過ごしています。

 

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△バレエやオペラにまつわる貴重な資料満載の特別展示室も見逃せません。3ヶ月ごとに展示替えがあり、著名な芸術家やその作品を記念した展示や衣装などを自由にご覧頂けます。

 

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△皇帝の間(小)は、皇帝への謁見のために使用されていました。部屋の両隅に座り壁に向かって小さな声で話したとしても聞こえてしまうほど声がよく響く設計になっており、内緒話が出来ない部屋なんて言われてたりもするそうです。

 

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△そして、今回の改装工事で新しく誕生したのが、この地下のベートーヴェン・ホールです。300人収容のこのホールの客席は可動式になっており、階段状のコンサートホールから平面のバンケットルームにまで対応することが出来るようになっています。ちょうどボリショイ劇場の正面、劇場広場の噴水の真下くらいに位置しているこのホールは、高度な防音設備によって隣接する地下鉄と隔てられています。

 

モスクワへ来たらボリショイ劇場!その素晴らしいステージはもちろん、その作品が産み出されて来た劇場そのものを堪能することが出来るバックステージツアーも人気があり、運が良ければ貴重なリハーサル風景もご覧頂けます(ロシア語&英語のツアーに加え、日本語のツアーもあります)。

ボリショイ劇場 公式サイトはこちら

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こちらも華やかにリニューアル!ボリショイ劇場のお土産ショップ

『スタニスラフスキーの家博物館』を訪ねて

2017-09-12

ロシア文化フェスティバルblogより)

ロシアには、芸術家が生活していた家をそのまま残し展示している魅力的な“家博物館“が数多く存在しています。そのなかのひとつが、こちらの『Дом-музей К.С.Станиславского スタニスラフスキーの家博物館』です。

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偉大な脚本家であり才能豊かな俳優でもあった Константин Сергеевич Станиславский コンスタンチン・セルゲーヴィチ・スタニスラフスキー(1863~1938)。演劇に興味のある方なら一度は耳にしたことのある演技メソッド“スタニスラフスキー・システム”を築きあげ、指導者として多くの俳優を育成し、その名はロシアの演劇界のみならず世界的に知られています。ロシア文化フェスティバル IN JAPANでも、スタニスラフスキーが1898年に創設したМХАТ им. А.П.Чехова モスクワ芸術座や、スタニスラフスキーの名前が冠されたМосковский академический музыкальный театр им. К. С. Станиславского и В. И. Немировича-Данченко スタニスラフスキー&ネミロヴィチ・ダンチェンコ記念音楽劇場の作品が、公式プログラムとして上演されたり関連本が出版されたりしてきました。

 

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かつては“スタニスラフスキー通り”と呼ばれていた通りから、門をくぐりドアの前に立つと、まるでスタニスラフスキーの邸宅にお招き頂いたような気分を味わうことができます。スタニスラフスキーは、19世紀中後半のロシア・クラシシズムでしつらえられたこの建物の2階部分で、1921年(58歳)から1938年(75歳)までの晩年17年間を過ごしました。そして、彼の死後10年が経過した1948年に博物館として開館しました。

大切に手入れ保管されてきた内部は、細部にいたるまですべてにスタニスラフスキーの息づかいを感じます。

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スタニスラフスキーはもともとはダンスホールとして使用されていたサロンを劇場に改装しました。このステージの特徴的な4本の柱が、のちにスタニスラフスキー&ネミロヴィチ・ダンチェンコ記念音楽劇場の紋章のもとになったそうです。こけら落としとなった作品は『エブゲニー・オネーギン』で、それ以来ここは“オネーギンスキー・ホール“と呼ばれています。現在もコンサートや演劇が行われていますが、大劇場とはまたひと味違う臨場感や温もり、スタニスラフスキーの意思を肌で感じることが出来る特別なホールとしてロシアの人々に愛されています。

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△スタニスラフスキーはこの椅子に座り、モスクワ芸術座の俳優たちを演出・指導したそうです。

 

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△実際に舞台に上がってみることも出来ますし、緞帳の裏の舞台裏を覗くことも出来ます。農奴芸術家たちによって改装されたそうですが、どの部屋も天井に描かれた絵までとても美しくこだわった作りになっており、調度品や小物のひとつひとつからもスタニスラフスキーの美的センスを感じます。

 

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△入館して階段を上がるとはじめに広がるこの空間は、通称“青の間”と呼ばれ、リハーサルや上演の際の待合ロビーとしても使用されていました。奥の白い扉の向こうが劇場スペースです。

 

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△実際に使用されていた椅子やテーブル。

 

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△こちらは舞台裏から繋がっている“赤の間”。ステンドグラスには騎士が、天井には馬がモチーフに描かれています。

 

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△書斎の扉は2枚分もの厚さがあり、可愛らしい装飾が施されています。取っ手の部分を触ると成功できると言われており、いつからか俳優さんたちはもちろん訪れる人が皆、願いをこめて触れるようになったため、ピカピカと輝いていました。

 

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△1895年スタニスラフスキーがイタリアを訪問し、シェイクスピアの『オセロ』を演じた時に購入したというお気に入りの椅子。ここから数多くの傑作が生まれたのですね!

 

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△寝室の棚の上、ベッドからもよく見える場所には、舞踊家イサドラ・ダンカンから贈られたという花瓶が飾られています。心臓発作で倒れてからはここから動くことが出来なかったそうです。小さなベッドには、まるで今朝着替えたばかりであるかのように、白いパジャマも置かれていました。実はスタニスラフスキーというのは芸名で、本名はアレクセーエフといい、フランスで女優をしていた祖母をはじめアレクセーエフ家のポートレートが並ぶ食堂もありました。

 

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△モスクワ芸術座の美人女優であり、よき妻で母でもあったマリヤ・ペトローヴナ・リリナの部屋や寝室も公開されています。化粧台には当時のメイク道具や愛用の品々、得意だったという刺繍やレース、壁には尊敬するチェーホフの写真も飾られていました。

 

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△アンナ・カレーニナのヴロンスカヤ伯爵夫人を演じたときの衣装。チェーホフの戯曲『かもめ』のマーシャ役、『ワーニャ伯父さん』のソーニャ役、『三人姉妹』ナターシャ役など主要な役を演じていました。

 

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△ 1階&3階部分には、さまざまな作品で使用された衣装や小道具が展示されていました。なかでも印象的だったのは・・・こちらの作品。

 

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△英国のサリバン作『ミカド』という日本を題材にしたオペレッタ作品です。1887年にスタニスラフスキー自らが演じたときの写真や、衣装と小物のコレクションも展示されています。

 

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△着物には少し中国的な要素も感じられますが、スタニスラフスキーは当時、自宅に住まわせた日本人から直接、歩き方や立ち居振る舞い、お辞儀の仕方、そして芸者の舞いや扇子などの扱い方などを教わり徹底的に研究したのだそうです。

スタニスラフスキーが日本とこのような深いつながりがあったことはあまり知られていませんね。

これからはロシア文化フェスティバル IN JAPAN公式プログラムをさらに深くお楽しみいただけるような場所を、モスクワからご紹介してまいりますのでどうぞお楽しみに!

 

Дом-музей К.С.Станиславского

住所:Москва, Леонтьевский переулок, дом 6.

公式サイト:https://www.museum-stanislavsky.com

日本のなかのロシア〜墨田区・榎本武揚像〜

2016-12-23

ロシア文化フェスティバルblogより)

函館では幕末の最後を語るうえで印象深い箱館戦争の舞台となった五稜郭を訪れ、明治にシベリアを横断し、樺太千島交換条約に調印、ロシア特命全権公使を2年間務めた榎本武揚についてもご紹介いたしました。そして、ここ東京にも、榎本武揚像に出逢える場所があります。

 

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それがこちら、墨田区の向島にある梅若公園です。どこかロシアを彷彿とさせる広いまっすぐの道に延々と連なる巨大な団地群。防火壁の役割も果たしているという都営白鬚東アパートにお住まいの皆様の憩いの場に突如出現し、威厳あるお姿で彼方を見つめていらっしゃいます。

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榎本武揚が晩年住んでいたのも向島だったことから、この地に建立されたようです。

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台座には、『正二位勲一等子爵 榎本武揚像』と記され、

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台座の奥には『誠』の石碑も置かれています。

すぐ脇には、 東京都指定旧跡の『梅若塚』もあります。能楽や浄瑠璃、歌舞伎、謡曲などでは『隅田川』に登場する伝説の人物、梅若丸。平安時代、京の都から人買いにさらわれ、挙げ句の果てに隅田川のほとりで病に倒れてしまう12歳の梅若丸と、愛息を捜しつづけ、不幸な結末に絶望して墨田川に身を投じてしまう母を描いた胸の締めつけられるようなお話です。この塚は、身寄りのない梅若丸を看取り、母への想いとともに供養した墨田の人々の情深さの象徴ともいえます。

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現在、墨田川沿いには、『すみだが誇る世界の絵師 葛飾北斎が描いた風景をたどろう』という素敵な試みによって、16枚の北斎の絵と実際の風景を見比べながら散歩できるモデルコースなども紹介されています。

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榎本武揚像のある梅若公園付近の案内板には、代表作『富嶽三十六景』のなかの1枚『隅田川関谷の里』が解説されていました。

 

なお、都内には文京区・吉祥寺で榎本武揚のお墓を参拝することができます。また、墨田区でロシアにまつわる場所としてはほかに、回向院に帆掛け船の形をした海難供養碑があり、シベリアを横断してサンクトペテルブルグに赴きエカテリーナ女帝に謁見の後に帰国を果たしたロシア漂流民の大黒屋光太夫の名前が記されています。さらに詳しくお知りになりたい方は、『日本のなかのロシア』シリーズ全4冊(東洋書店ユーラシア・ブックレット)や、『ドラマチック・ロシア IN JAPAN』1〜3(生活ジャーナル、東洋書店)をご参照ください。