【英国のなかのロシア】世界唯一の支店はロンドンにあり!ロンドンでロシアのファベルジェ展!

2022-05-04

ロンドンのV&A博物館では、ロシアのファベルジェに関する展覧会Fabergé in London: Romance to Revolutionが開催されており、2月初旬に観に行ってきました。(会期:2022年5月8日まで)

カール・ファベルジェ(Carl Fabergé )は、ロマノフ王朝御用達の宝石加工職人。皇帝アレクサンドル3世と、その息子ニコライ2世が、毎年復活祭(イースター)にファベルジェに注文し、母親と妻に贈っていたというイースターエッグはどれも美しいばかりでなく面白い仕掛け(サプライズ)があります!どの卵にも、家族思いの皇帝の、そして遊び心あるファベルジェのあたたかい想いが感じられます。

大学時代からこのファベルジェに魅せられていて、サンクトペテルブルクにあるファベルジェ博物館はもちろん(関連☆【水の都サンクト・ペテルブルク】ファベルジェ博物館)、モスクワで開催された展覧会やクレムリンの武器庫、ロンドンでもオークションハウスのサザビーズなど(関連☆【英国のなかのロシア】サザビーズに潜入!① 11月はロシア・スペシャル!)これまでもさまざまな場所でファベルジェの卵に出逢ってきました。

(△写真は公式サイトより Fabergé’s premises at 173 New Bond Street in 1911. Image Courtesy of The Fersman Mineralogical Museum, Moscow(Минералогический музей им. А.Е. Ферсмана) and Wartski, London SW1A 1LE)今回の展覧会では、何度見ても素晴らしいファベルジェの魅力を改めて堪能しただけでなく、ロンドンで開催ということで、1903年に開店したファベルジェのロンドン支店(!)について、初めてこんなにも充実した資料やコレクションをみることができました。1906年には、リッツ・ホテルに程近いDover Streetに、そして1911年までに上の写真のニュー・ボンド・ストリートのカルティエの一軒挟んでお隣に店舗が移りました。

△現在のDover Street

△現在のNew Bond Street カルティエの1軒挟んで隣りということは・・・

△住所ではシャネルの宝石店のある場所に、かつてファベルジェがあったことになります。

今回の展覧会ではさらに、貴重なインペリアル・エッグが展示されたのはもちろん、ロイヤルコレクションなど英国にあるさまざまなファベルジェ作品が多数公開されました。

(以下の覚え書きメモは今回の展示と公式カタログ、さらにこれまでの展覧会や私の本棚にある作品集などより・・・)

展示室は大きく3つのエリアにわかれ、200展以上の展示物があります。ロマノフ王朝で紡がれた皇帝一家の愛の物語と悲劇の結末を奥行に、ファベルジェが生み出した傑作の数々が時代を鮮やかに描き出していきます。英国のロイヤル・コレクション収蔵のシガーケースなど、ロシアから英国に贈られた、あるいは英国で発展を遂げ愛された、これまで見たことのなかった宝飾品も多数!ロシア国内以外では、ここロンドンのみに支店があったのだそうです。英国王室貴族はもちろん、亡命したロシアの大公や、世界の富裕層たちが、ファベルジェの作品を手に入れるためにロンドン支店を訪れました。そうして、ファベルジェの名と顧客は世界に広がり、ロシア同様イギリスでも人気を誇りました。

☆1842年サンクトペテルブルクで、ファベルジェ工房を創業したのは、実は父親のグスタフでした。カールは1864年(18歳)からこのファミリービジネスに加わり、ヨーロッパ各国を周遊して著名な博物館や図書館、個人コレクションなどから金細工や宝飾品を学びました。同時に、サンクトペテルグルクで職人としての技術訓練もうけ、フランクフルトでは同じく職人のジョセフJosef Friedmanとともに修行しました。そして1872年に父の引退を機に、いよいよ満を辞してファベルジェ工房の舵を取り、世界的な一流ブランドとしての道をスタートするのです。

☆ファベルジェ自身が一流の金細工・宝飾職人ではありましたが、すべての制作を彼が担っていたわけではなく、ファベルジェ工房では、専門的なそれぞれのセクションでの分業が確立しており、チーフワークマスターのもとで運営管理されていたことが大企業に成長していった大きなベースになっています。1901年には、ペテルブルクの24 Bolshaya Morskayaに5階建の大きな本社ビルを開設。1階には旬のデザインを披露するための豪華なショールームやオフィス、ほかにも各階にデザイナーや職人たちのオフィスや仕事場、専門書を集めたライブラリーなどを作って、各セクションの専門家たちを大切にし、セクション間で円滑に活発にコミュニケーションが取れるように工夫されていました。

☆皇帝のお気に入りだったインペリアル・イースターエッグは毎年献上され、合計50個ほど制作されました。ファベルジェの芸術性の粋を極めた傑作ばかりで、そこ込められた皇帝の愛や家族との思い出がさらに輝きを加えて特別に私たちの心に響きますが、ファベルジェ工房の作品はもちろん、こればかりではありません。というよりも、これはほんの一部にしか過ぎません。豊かなインスピレーションの宝庫だったファベルジェは、世界中の顧客たちのためにありとあらゆるものを作りました。彫刻された動物の置物や、シガーカッター、ティアラに、レターオープナー・・・

☆ロシアにおけるファベルジェの最も有名な作品がインペリアル・イースター・エッグだとすれば、英国においてファベルジェの最も有名な作品は?それは1907年、ノーフォークにあるサンドリンガム邸(Sandringham estate in Norfolk)でキング・エドワード7世とクイーン・アレクサンドラ(King Edward VII and Queen Alexandra)が飼育していた動物たちをモデルにアニマル・カービングを製作したことかもしれません。ワックス・モデルが英国からロシアへと送られると、石に彫刻して金細工や宝飾品が施されました。

1863年、まだPrince of Wales時代にキング・エドワード7世はこのサンドリンガム邸を購入し、愛する新妻アレクサンドラと過ごすカントリーハウスとして使用していました。どこか生まれ故郷のデンマークの自然を思わせる環境は、英国へ嫁いできたばかりのアレクサンドラを癒し、ロンドンでの王室生活のストレスから逃れ心を慰めてくれました。庭園や広大な樹木が茂るイギリスの田園風景を満喫し、こよなく愛した二人でした。

1886年にはThe Royal Studが開かれ、競走馬の繁殖がはじまり、キング・エドワード7世は畜産に大きな喜びを感じるようになり、一方のアレクサンドラは多種多様な犬の飼育に夢中だったのだそうです。サンドリンガム邸は、エフドワード朝時代の社交の中心で、たくさんのパーティが催されました。ファベルジェのアニマル・カービングの宝飾品は、そんなサンドリンガム邸のキングとクイーンに贈られるのにぴったりの献上品でした。

ファベルジェのロンドンにおけるエージェント(代理人)だったHenry Charles Bainbridgeの手記によると、もともとは、王の許可が得られれば、馬や犬数1、2匹などほんのわずかの動物のアニマルカービングを考えていたようですが、彼の予想を遥かに上回り、飼育している動物全体のアニマル・カービングの製作を受注する運びとなりました。充分な素材や職人を確保できるかどうか、また費用面でも王の期待に応える作品が実現可能かどうか、かえって英国においてファベルジェの名に傷をつけてしまうことになりやしないかと不安を覚える代理人ヘンリーをよそに、ファベルジェは制作を開始。動物彫刻に関してファベルジェ工房で右に出るものはいなかった才能溢れる若き職人Boris Frödman-Cluzelをロシアからサンドリンガム邸へ派遣しました。

1907年からサンドリンガム邸で働き始めた職人Boris Frödman-Cluzelの作品モデルを見た王は、代理人をとおしてファベルジェに、その作品の素晴らしさとどれほど自分が満足しているか伝えたと言います。 モデルはロシアへ届き、たとえば、雄牛(Dexter Bull)には北コーカサスの黒曜石、というようにロシアの豊かな鉱物資源のなかからその動物に最適な、リアルかつ実物以上の魅力を放つような石が選ばれ彫刻が施されていきました。

今回のコレクションでは、この素晴らしい動物コレクションを初めてゆっくりと鑑賞することができました。

△イースター前だったので、卵モチーフの可愛らしいグッズも。

☆第一次世界大戦の勃発によりビジネスが難しくなったファベルジェ工房は、1917年初めに閉店。戦時中、工房は軍需品の生産に使用されました。繊細な作業に特化したファベルジェの技術も、爆弾の製造などに利用されたのだとか・・・)皇帝の良き友人であったファベルジェは、ロシア革命で国外へ逃れ、バルト海沿岸ラトビアの首都リガ からドイツ、そしてスイスへ渡りそこで亡くなりました。

☆ファベルジェの制作したインペリアル・イースターエッグのなかで7つがまだ行方不明になっています。そのうち2つは、詳細は明かされないもののどこかに現存していることだけは確かで、その他は謎のまま。

☆英国のなかのロシア関連では、1896年秋に、バルモラル城を訪問したニコライ2世とアレクサンドラ皇后について(ヴィクトリア女王の日記のなかでNicky&Alickyと呼ばれていました)や、たくさんの資料を提供している宝石店Courtesy of Wartskiに興味がわきました。

△ロンドンの Wartski ウインドーにはファベルジェ関連もたくさん!

長い冬のあとに訪れる春のイースター。なかから喜びが出てくる卵、鳥やうさぎは、復活や強い繁栄を祈るモチーフです。2021年から続いてたこのファベルジェの展覧会の間に、まさかウクライナとロシアをめぐってこんな悲しいことが起こり、世界がこんな悲しいイースターを迎えることになってしまうなんて。展覧会へ足を運んだ日には想像もしていませんでした。

 

数えきれない!英国で出逢うチャーチルゆかりの地コレクション

2022-05-03

息子が現地校のハウス(寄宿学校の寮からきている縦割りのグループ。ハリー・ポッターで言うところのグリフィンドール。)でチャーチル になったことがきっかけで、チャーチルを見つけるとつい足を止めてしまう、英国のなかのチャーチルをコレクションする息子と私のプロジェクト!(関連☆【イギリスの学校生活】帽子で組分け!?“ハウス“とチャーチル巡り

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△議会広場のチャーチル像(関連ウエストミンスター周辺散策、議会前広場と銅像

サー・ウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル ( Sir Winston Leonard Spencer Churchill)は言わずと知れた英国の偉大な政治家で、ポンド札に肖像画が描かれていることからもわかるように、英国で最も尊敬されている人物のひとり。ロンドンの街中には銅像や博物館、ブループラークや写真などを見ることができます。

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△桜の木の下にあるベンチでチャーチル元首相とお花見!(関連ブログ☆チャーチル元首相とお花見できる!?とっておきのベンチ

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△ウィンストン・チャーチルが悠然と微笑む看板が目印の素敵なパブ「チャーチル・アームス」(関連☆【英国のお気に入り】チャーチルのパブでタイ飯!?)。ちなみに、モスクワにもチャーチル・パブがあるんですよ!(関連☆【モスクワのなかの英国】ロンドン名物の赤い電話BOXがある!チャーチル・パブとモスクワのパブ巡り

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△首相官邸前でチャーチル 元首相と記念撮影!(関連☆蝋人形でロンドンの歴史探訪!マダム・タッソーの館 関連☆首相官邸 ダウニング街10番地

△偉大な政治家として、英国の首相として、戦争時の指導者として、チャーチルという男性の人生を辿るなら、Churchill War Roomsがおすすめ。(関連☆【英国のなかのロシア】防空壕に潜入!チャーチルの地下極秘本部

△そして、夫として父として家族と過ごしたチャーチルの人間的な魅力を知るにはなんといってもチャートウェルの邸宅!(関連☆【英国のなかのロシア】【イギリス国内旅】チャーチル元首相が晩年を過ごした邸宅、絵になるチャートウェル

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△1880〜1883年まで暮らした家

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△ウエストミンスター寺院のなかで眠っています。(関連☆【英国のなかのロシア】エリザヴェータ・フョードロヴナに再会!世界遺産ウェストミンスター寺院

このほか、ロンドン中のたくさんのホテルなどでも、チャーチル元首相が訪れたことを紹介する写真などが飾られています。

△(左)リッツホテルのロビー (右)国内旅ドーバーの素敵なティールームThe Pines Garden Tea Roomのお庭にも・・・(☆【イギリス国内旅】ドーヴァー城、灯台、ホワイトクリフ!

【英国のなかのロシア】防空壕に潜入!チャーチルの極秘地下本部 CWR

ちょうどヒストリーの授業で、第1次&第2次世界大戦を学んでいる息子。今日は、防空壕になっているChurchill War Roomsへ。英国で最も敬愛されている政治家チャーチル のミュージアムでロンドン中心部にあるため入館料が高い(大人29£)にも関わらずたくさんの人が訪れていました。やっぱり、ウクライナとロシアのことに重ねてしまいます・・・

△The Cabinet War Roomの1940年10月15日火曜日、17時からのミーティング直前の1シーンが再現されていました。中央奥の地図の前がチャーチル元首相の席でした。第二次世界大戦時、英国政府の中核、極秘の地下本部はここにありました。国会議事堂や首相官邸にも近い場所で、特に爆撃の激しかった1940年9月から1941年5月、1944年6月から1945年3月に使用されました。

 

△限られたスタッフしか入ることが出来なかった地下本部のなかでも、さらに厳重に警備され選ばれしものしか入室できなかったMap Room

△BBCの放送ブース前では、放送でのチャーチル元首相の生の声も聴くことが出来ました。

 

△プライベートエリアでは、チャーチルの寝室やダイニングルーム、夫人の部屋やキッチンなど・・・。どんなときも壁には絵が飾られているのがチャーチル元首相らしいですね。

 

△生涯のパートナーとして、どんなときも一番近くで支えつづけたクレメンタイン夫人とは、数え切れないほどの手紙のやりとりをしたそう。

△展示コーナーでは、チャーチルの誕生から少年時代、政治家としての活躍・・・ひとりの男性の生涯を様々な角度から、たくさんのゆかりの品とともに辿ることができます。

母親が保管していた赤ちゃんの頃の髪の毛や兵隊のおもちゃ、その後、寄宿学校から書いた少年チャーチルの両親への手紙や成績表、1914年ロシア軍の想像上の侵略に対するイギリス軍についてのノート記述も。

△ロシア(旧ソビエト連邦)関連の展示も。

△金の卵を置いて暗号の解読!先日学校のTripでブレッチリーパークへ行ってきた息子。ソ連関連のコード解読に挑む!

△銅像は左から、アメリカのルーズベルト元大統領、英国チャーチル元首相、ソ連のスターリン元書記長。写真はテヘランにて。

 

△1943年11月30日、チャーチルのお誕生日を祝う3国の指導者たち(左)ヤルタにて(中央)シガーケースから葉巻をとるチャーチル をにこやかに見つめるスターリン(右)

△当時のロシアを助けるための赤十字の活動Aid to Russiaは、クレメンタイン夫人が特に尽力していたそう。ウクライナの平和を祈り世界が悲しんでいる今とは、逆ですね・・・

△マダム・タッソーが作った蝋人形の石膏型(関連☆蝋人形でロンドンの歴史探訪!マダム・タッソーの館

△首相官邸ダウニング・ストリート5番のドア(関連☆首相官邸 ダウニング街10番地)1991年に防弾ドアに付け替えられ、1735年から使われていたオーク素材の木のドアはこの博物館へ。チャーチルが首相として初めてこのドアをくぐったのは1940年5月のことでした。ドアは外側から開けることはできず、いつも内側に警備員が控えています。また首相自身が鍵を持つことはないそう。

偉大な政治家として、英国の首相として、戦争時の指導者として、チャーチルという男性の人生を辿るなら、この博物館、そして、夫として父として家族と過ごしたチャーチルの人間的な魅力を知るにはチャートウェルがおすすめです。

関連☆【英国のなかのロシア】【イギリス国内旅】チャーチル元首相が晩年を過ごした邸宅、絵になるチャートウェル

ロシアの防空壕の博物館についてはこちら

モスクワ通信『地下核シェルターに潜入!冷戦博物館』

モスクワ通信『琥珀、防空壕、マジパン!カリーニングラードでおすすめの博物館3選』