【英国のなかのロシア】東インド会社のよりも前にあった、モスクワ(ロシア)会社の名残り、貿易の礎ムスコヴィ通り

  • URLをコピーしました!

ロンドン地図のなかで、ロシアとゆかりのある名前の場所をいくつかご紹介してきましたが(関連☆【英国のなかのロシア】〜まとめ〜 (2022.02更新!))今回ムスコヴィ通り(Muscovy street)を散策してみましょう。

Muscovy Company (Muscovy Trading CompanyRussia Companyとも呼ばれていました。ロシア語では Московская компания)は、イングランドではメアリー1世、モスクワ大公国ではイヴァン雷帝の時代の1555年にロシアとの貿易を行っていた英国の会社です。後のアジアとの貿易を行う「東インド会社」はよく知られていますが、実はもちろん、ロシアとの貿易を行うモスクワ会社(ロシア会社)もありました。

その貿易会社があった場所がこのエリアだったことが、Muscovy streetという通りの名前から感じることができます。ちなみに、モスクワでMuscovy Companyがあった場所はモスクワ中心部トヴェルスカヤ通り付近で、英国の教会(聖アンデレ聖公会教会)も建設され、このあたり一帯がモスクワにおけるイギリス人のコミュニティーの中心となっていたそうです。これについては、「モスクワのなかの英国」で詳しくご紹介していますので、ぜひあわせてお楽しみください。(関連ブログ☆【モスクワのなかのイギリス】〜まとめ〜 

△さて、Muscovy streetの目の前は、白い敷石が敷かれた広場になっています。フォーシーズンズ・ホテルを背景にイギリスの政治家で作家のサミュエル・ピープス(Samuel Pepys)の銅像があり、そのまわりにピープスの代表作『サミュエル・ピープスの日記』に関するユニークなモチーフの敷石を見ることができます。

△ペストが大流行した1665年のロンドン

△ペストは、ネズミとノミが媒介する感染症だそう。

△そして1666年にはロンドン大火が起こります。(関連☆ペスト禍のロンドン大火、コロナ禍の・・・平和と復興へのモニュメント

△火事現場シティ・オブ・ロンドンの近くに住んでいたピープスは、1660年から1669年までの日記のなかでこの火事についても詳細に記録しています。当時、ワインやパルメザン・チーズを地下に埋めたのだとか。

 

△「今日はこれで練習おわりっと」

『サミュエル・ピープスの日記』ぜひ読んでみたいです。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次